対等について
先日あるイベントにて冒頭に「私たちは皆対等です、フラットに話し合いをしましょう」と言われた。もちろん意味としては、立場関係ない場所なので臆することなく発言していい場所ですよ、というものだ。ただ僕はその発言に若干の違和感を覚えた。
対等:二つの物事の間に上下・優劣のない・こと(さま)。同等。 「 -の立場にある」 「 -に戦う」 「 -な関係を保つ」weblio 辞典より
その場所には中学生~社会人と様々な人が混在していた、もちろん職種から知識、経験、出身と皆バラバラである、はたしてそのような場所で上記のような対等は成り立つのだろうか、僕は無理だと思った。
何をするにしても知識のある人、経験した人、話すのが上手い人、背の高い人…etcと様々な視点でパワーバランスは生まれてしまう、それなのに関わらず上下優劣なく対等に過ごすなど不可能だろう。それなのに関わらずその場所は対等というものを強要していたように見えた。
そのように対等を強要された場では、力のある人が力のない人に”合わせる”という形をとる、それは本当に対等なのか?僕には相手をナメているように感じた、どうもそこが気持ち悪かった。
いや、別に発言者やその場をdisるつもりはない、事実その発言一つで気持ちが楽になった人はいただろう。
単純に【伝えるのって難しいね】って話だ、『言いたいことはわかる、でもその言葉はなんかイヤ』ってことが僕の中で往々にしてある、その都度イラっとして中指を立てたり、逆に反省したりうだうだと行ったり来たりする、その間皆進んでいるというのに。。。
言葉一つにとってもそれ自体の定義も違えば、想像するその言葉を発した背景も異なる、いちいちそれに引っかかる。
やれやれだぜ、全くよぉ。。。
追伸
だからこそ、言葉にはこだわろう。と書こうとしたが、具体的なこだわる方法がわからなかったからやめた、それに綺麗にまとめようとしてる感あったし