泣くことが下手な話
僕は泣くことが下手だ、そもそも”泣く”という感情があふれ出し起きる現象に対して上手い下手があると考えているところで「あ、察し」だ。
想いかえてみると小学校からそうだった。
小学校から野球のクラブチームに入っていた僕だが、そこでも卒業というものはある。
6年生が一人一人今までの思い出や感謝の気持ちを発表するお涙頂戴の青春シーンだ。だんだんと涙のボルテージを上げていき最後の最後「お父さんお母さん今までありがとう」で涙を流す奴、最初から号泣して泣きじゃくりすぎて何言っているのかわからない奴、皆ぞれぞれで感動シーンを作り上げていた。
いざ自分の番になりボルテージ型の泣き方を目指した、『よし、この話くらいで、泣く準備をするぞ』『ここでは少し泣き出しておこう』そんな風に完ぺきな計画を練り話をし始めた。しかし計画とは裏腹に涙は全く出ず『おい、なんだこれ全然泣けないぞ』『ヤバイよヤバイよ、終わっちゃうよ』と思っていた時にはもうすでに終わっており、拍手をされていた。
おそらく僕は泣くモードに入るのにエネルギーが必要なのだ、だから感動する映画などを見るときも『まず、これは感動する映画なのだ』と思い席に着き『よし、この辺が最高潮のお涙スポットだな』と思いようやく涙を流せるのだ。そんななので大人向けの自然と涙が出るような映画ではまず100%泣けない、一緒に見た人に「これ泣くところあった?」など、一緒に映画見に行って言われたくない言葉ランキング上位に組み込む言葉を放ってしまうまである。だから泣く映画は比較的わかりやすい子供向けの映画の方が泣けると思う。とはいえ「子どもっぽすぎて、”こうすりゃお前ら泣くんだろ”って演出が見えすぎる」なんていいだすと思うが、、、。
そんな僕だが一回映画を見て号泣した事がある。
それは、数年前スタンドバイミードラえもんを見に行った時だ、なんの捻りもなく直球で感動を演出してくる映画だが見事に僕は泣いたのだ。
その映画は小学校から仲良かったいたずら3人組で見に行った。「お前ドラえもん好きだもんな、ぜってー泣くよな笑」などフラグを立てつつ、久しぶりの再会を楽しんでいた。実は、僕とそのもう一人は絶対に泣きじゃくるそいつをイジリ倒してやろうと思っていたのだ。
いざ、映画が始まると案の定、最高潮の感動ポイントのある【のび太の結婚前夜】で見事に泣いていた。それを確認した僕は隣にいたもう一人の奴に「おい、アイツもう泣いてるぜ笑」と言おうとした、するとなんということだ一緒にイジリ倒す予定だったはずのもう一人がびゃーびゃーにギャン泣きしていた。
右を向いても左を向いても同い年の決して素行が良いとは見えない風貌の男がギャン泣きしていた、それを確認した瞬間僕は見事にもらい泣きをした。そして3人そろって目を腫らしながら映画館から出たのであった。
いたずら男子3人組を見事感動の渦に巻き込んだドラえもん、偉大である。
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