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円周率をざっくり3であると考えられる人の方が生きやすいよな、という話

今から25年くらい前、
・円周率を3.14ではなく、3として小学校で教えることになった
というニュースが流れた。
これは実はある種の誤報だった。
誤報だったのだが、かなりセンセーショナルな扱いでニュースで取り上げられたため、今でもそのまま信じている人もいるようだ。

当時私はこう思った

そのニュースを最初に聞いて、私は「へえ、悪くないかもね」と思った。
円周率は無理数であり数字としてすべてを書ききることはできない。
私が子供の頃にならった3.14という数字も、あくまでも近似値でしかない。
どっちにしても近似値だ、という意味では、3でもいい。
逆に、3.14159くらいまで教えよう、みたいなやり方もありえる。
3.14くらいにしておけば、小学生のうちに身に付けたいレベルの計算練習としてちょうどいいかもな、とは思うし、本来の円周率との誤差も1%未満で十分な精度だな、とは感じる。
でも考えてみれば、小学生に期待する能力として「円周率を、使うべきタイミングで使えるか」という要素と、「小数が含まれた計算を間違いなくこなす」という能力は全く別のものだ。テストにおいて、使い方は合っているのに、計算で間違って×をもらう、というのはよくある光景で、ある種の悲劇と言える。
この二つの能力を別で評価してあげるためにも、計算は簡単にできるようにするのもありだな。なら3でもいいよな。
そんなこんなで、むしろ小学校の間は円周率を3として扱ってしまった方がいいのかもね、と考えたわけだ。

だが周りの反応は違った

同僚・先輩・友人・家族、いろんな人が、当時この件を話題にしていた。
どれも否定的な意見だった。
一番よくあったのが「円周率は3.14が正しいのに、3と教えるなんてけしからん」というような意見。
ここまで読んできた方ならば分かってもらえるだろうが、円周率は、約3.14ではあるけれども、3.14そのものではない。だから、3.14が正しい、という表現自体が間違いだ。そして、円周率を約3.14と表現できるのと同じ理由で、約3と表現してもいい。
何度もそう説明はしてみたものの、「なるほど」となる人と「お前はなにを言ってるんだ」となる人で半々くらいだったイメージだ。

次にありがちなのが「われわれは3.14と習っており、そのせいで計算が大変だったのに、3にしてしまったら計算が簡単になってしまう。それでは計算練習にならない。子供たちの学力が心配だ」というタイプの意見。上にも書いたように、私としては、それは別々に訓練すべきことであって、一緒くたにすべきではないと考える。3.14の掛け算だけ得意になってもダメだしね。
この説明も納得してくれる人とそうでないひとは半々くらいのイメージ。

最後のパターンが「私は3.14と習ってそのせいで計算が大変だったのに、楽をさせるなんてけしからん」というもの。
実は一つ前の意見も、本当の思いとしてはこちらであるのかもしれない。
日本にはびこる悪い癖、私はこんな嫌な思いをしてきたのだから後輩も同じ思いをすべきだという形式ですね。
こういう人は何か説明しても聞く気がないので、私はそっとその場を離れるようにしていた。

そんなこんなで、私は個人的な思いを周囲には伝えつつ、この問題と向き合っていた。

と思ったら、そもそも誤報?

しばらく時間がたって「円周率を3と教えるようになるらしい」という話自体が誤報だったことを知った。
簡単に言えば、学校の指導はこうしなさいよ、というマニュアル的なものであるところの指導要領の記載として、円周率の指導の部分に
「目的に応じて3を用いて処理してもよい」
という内容が追加されていただけだったようなのだ。
近似値として3.14を使うときっちり教えるのだけれども、暗算で概算をするときとかには、まずはもっと荒い近似値である3で計算すると便利、というようなことを追加で教えてもいいよ、という記載。
当時、指導要領は「それに従って過不足なく指導せねばならない」ものであるとして取り扱われていた。そのため、近似値は3.14として教えよ、とだけ指導要領に書かれていると、教育現場でその内容に勝手に追加して「状況次第で3にして計算すると便利よ」と教えてはいけない、と解釈される可能性があった。過剰な指導である、と判断されるかもしれなかった。
だからそれをしてもいいよと明記した、というのが元々の主旨だったよう。

その内容であれば、おそらく文句を言う人は一人もいなかったのではないか。学習指導塾の広告などにおいて「3として教えることになったのを知っていますか?」というような誤った形で取り上げられたことをきっかけに、全国ニュースとして誤った報道がされた、というのが真相のようだ。

ちなみに、この「円周率は3として教えるらしいケシカラン!」という誤報が広まったことも影響したのか、現在では指導要領自体が「過不足なく」ではなく「最低限この内容は教えなさいよ」というものであると解釈されるようになり、追加の内容を教育現場で工夫して教えることに制限はなくなった。
その解釈変更と共に、指導要領から「目的に応じて3を用いて処理してもよい」という記載も削除されたんだそうだ。独自の追加内容を教えてもいいならば、その表記はもはや不要なので。
メデタシメデタシ。

それで私が言いたいこと

私はこの一件でマスコミ批判をしたいとか考えているわけではない。
この程度の誤報は日々発生している。
雰囲気に流されずに自分の意見を持った方が楽しいよ、とは思うが、今回の主旨はそこではない。

今回私は、概算することの重要さが、世間一般できちんと理解されていないのではないかということを指摘したい。指導要領に「目的に応じて3を用いて処理してもよい」という表記を付け加えた偉い人たちは、多分同じようなことを意図していたはずだ。

概算ってとても重要だ。
目にした資料になんらかの表が載っていて、この数字ってどういう意味だろうな、なんて考えたことあるよね?
そんな時、この数字とこの数字が足されてここなんだろうとか、こことここを掛けた数字がこれだな、とかを暗算しながらなんとなく見ていくと、理解が深まる。

そんな時、最初にやるのは正確な計算ではなくて、概算だ。
例えばだが、43×9.4っていくつ?みたいなことを考える時に、そのまま暗算できる人はすればいい。
だが私は2桁×2桁の掛け算は暗算で自由自在にはできない。
だから私の場合、概算として、一旦43×10をしてしまう。430だなと。で、それより6%小さい数字になるはずだ、10と9.4では6%異なるので、と考える。
で、それ以上は計算しない。400~430の間なんだね、くらいで仮置きし、そうであった場合になにか他の部分の表記と矛盾しないかを見る、てなことをする。
このくらい割り切って考える癖がついていると、なにかをざっくり暗算することへの気持ち上の負担感が減る。

他によくあるシチュエーションとして、例えば公園に噴水があった場合に、噴水の周囲がざっくり直径2.5mの円形だなと目算できたとして、その円周は何メートルくらいあるんだろうな、とか気になる時あるよね?
そんな時も、2.5×円周率 (m)だな、とまで式が立てられても、2.5×3.14だとファイトを失う人が多いんじゃないだろうか。
けれども3で一旦いいか、と思ってしまえば、2.5×3は暗算できる人がほとんどだろう。7.5だ。
で、さっきと同じ要領で、円周率は3より5%くらい大きいことも事前にわかっているわけだから、じゃあ、7.5より5%くらいデカいんだな、じゃあ7.5~8メートルってことでいいかーみたいな感じで気持ちよく自分の疑問に答えられる。幸福だ。最初の「直径が目算2.5メートル」というところからそもそもかなり適当なので、全体の精度として考えればそれで十分だ。

こういうことを考える癖をつけておくと、なにか大きく桁を間違えてしまうことなどが極端に減る。めちゃくちゃな失敗をしにくくなる。100%の正解を出せることよりも、大きな間違いをしなくなることの利点というのはとても大きいのだ。
大きな間違いをしないことを担保した上で、必要な時だけ、100%の正解を出せばいい。それが効率のいいやり方だと私は考えている。
効率がよくなると、楽になる。
楽になれば、余裕ができて、結果として日々が楽しくなってくる。

そんなふうに、どうすれば日常生活を楽しく健やかに暮らせるかを教えるのが学校教育であるのだとすれば、やはり「円周率は必要に応じて3で計算するのもいいよ」と教えるべきだし「正確に計算するばかりが人生じゃないよ、ざっくり計算をまず取り入れてみなよ」と教えるべきだ。
そう、私は思う。

まとめ

そんな感じで日々幸福を感じている私であるので、皆様にもとてもオススメな生き方になっております。
概算概算また概算!
緻密な計算はその後でいいんだよ!
では、また!


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