№2 これまでの順子さん ~進行~
僕の妻の順子さんは、「多系統萎縮症(MSA)」という原因不明の難病に罹患しています。
僕が知る限り、発症から少なくとも5年以上が経過しているのではないかと考えています。現在では歩行ができない状態です。車いす生活を余儀なくされています。「構音障害」という症状があり、ろれつが回らないため、聞き取りにくい発話しかできません。食事の介助が必要です。トイレでのパンツの上げ下げに苦労して、僕の援助を求めることも多くなりました。夜の睡眠時にはCPAPという酸素吸入器を鼻にマスク装着して眠ります。鼻へと続く酸素吸入チューブは象の鼻のように見えて、睡眠前に順子さんが「象さん、やって」とろれつの回らない口調で声をかけ、僕はこころよく「あいよ」と返事を返し、CPAPを装着します。
順子さんは、今も元気に僕のそばにいます。
「進行」ということ
前回(№1)お話ししたように、5年前から順子さんの「めまい」、「ふらつき」、「立ち眩み」が始まりました。車の運転に困り、いつもの慣れた買い物道で、距離感を誤り僕にぶつかるようになりました。ワケのわからない行動は、どんどん不自然さを増していきました。
突然ですが、一般的に「進行」といえば「前に進む」ことで、「物事がはかどる」ことだと理解しています。まぁ、語感としてはポジティブでアクティブなイメージが浮かびます。のちに医師から聞くまで、知らなかったし考えたこともありませんが、「進行」には「病気が時間とともに悪化し、改善の見込みが少ない」、「病気がどんどん悪くなる」という意味があるそうです。「進行」とういう言葉を病気に援用すると、きわめてネガティブで停滞的な雰囲気に逆転します。
この頃、順子さんの病気は進行していました。それも「不可逆的(元に戻らない)」に。
のちに診断される「多系統萎縮症(MSA)」という病気は「不可逆的(元に戻らない)」に進行する病気です。現在の医学では、この病は原因不明の「不治の病」です。
それにしても、「不可逆的(元に戻らない)」とはいただけない。「時の流れ」は「不可逆的」で、捨てるパソコンのデータは「不可逆的」に削除したいのですが、温暖化が「不可逆的」に進んだり、愛した異性が「不可逆的」に忘却していく様は、たぶん多くの人が耐えられません。
順子さんも僕も、そして子どもたちも、「不可逆的な進行」という事実に絶望的な深い悲しみを味わうのですが、そのころは知る由もありません。時折、「めまい」、「ふらつき」、「立ち眩み」を訴え、奇妙でちょっとあぶない動作が増えても、いつものように明るく元気な順子さんと、いつものように暮らしていたのでした。
順子さん、日光へいく
順子さんと僕が、上の息子を従えて日光へ旅をしたのは、2019年12月のことでした。12月23日から25日までの、2泊3日の旅行でした。
この頃の順子さんは、歩くときに多少のふらつきがあって、まっすぐ歩くことができずにいました。また、僕が当時「ペンギン歩き」と呼んでいた雪道を歩くように歩幅を狭くし、ちょこちょこ歩く歩き方が始まりました。小さな歩幅は歩行が安定し、身体を効果的に使うことができて、なにより歩くことの恐怖感が膨らみ、自然と「ペンギン歩き」が誘発したのでしょう。
それでも、順子さんはフル勤務で仕事をして、近くのスーパーに買い出しに行けば、いくつもの大きなビニール袋を何袋もぶら下げて帰ってくる「気は優しくて力もち」な女性を続けていました。
しかし、歩行困難な状態が続いていることがとても気になり、12月2日に総合内科を受診しました。詳細はのちの記事にゆずりますが、その紹介で12月11日に脳神経内科を受診し、年明けの1月8日にMRIなどのさらなる検査をする約束になっていました。そんな中での日光旅行です。
子どもが小さかったころに何度も訪れた日光ですが、一度も見たことがない定番の東武ワールドスクウェアに出かけました。園内はさほど広いとは言えませんが、それでもたくさんの展示をゆっくりと見てまわれば、1時間以上はかかります。順子さんも僕もその精緻なミニチュアに魅了され、いたるところで「スゴイ」を連発しながら、「よろめく」ことも「ふらつく」ことも「ペンギン歩き」もなく歩きました。
宿泊は鬼怒川温泉のホテルでした。夕食後には、息子をホテルに残し、順子さんと僕は夜の街に繰り出しました。フロントで紹介していただいた地元スナックに向かいカラオケ三昧。日頃お酒をあまり飲まない順子さんも、この夜は僕の美声に酔いしれて(?)、お酒もちょっと嗜みました。そして、順子さんにとって、これが最後のお酒になりました。
翌日は、日光東照宮に向かいました。鬼怒川温泉駅から東武鉄道を乗り継ぎ東武日光駅に到着。とてもきれいになった旧日光街道のダラダラした登り道を神橋へと向かう。僕は関節炎の足が痛み、バスに乗ればよかったと悔いているのに、順子さんと息子はやけに楽しそう。道路サイドに並ぶお店が素敵だとか、あれは美味しそうだとか、キャッキャッとはしゃいでいる。お前ら女子かと、突っ込みたくなる。もちろん順子さんは女子に違いありませんが50歳のおばさんで、息子はもちろん息子です。
神橋を過ぎた辺りの苔むした古い石段を登り、輪王寺を参拝し、日光東照宮表参道を行く。そして日光東照宮に到着。
順子さんは、苔むした石段では足元不安定で恐怖を感じたようで、僕と息子の介助でやっと上りきり、表参道の砂利と石畳では顔が引きつり「ペンギン歩き」で切り抜け、やっと着いた日光東照宮・陽明門の急な石段では絶句。
「無理、無理、上れない。」とのあたりまえの判断を、「せっかく来たのだから」と僕と息子で両脇を抱え込み、強制連行される犯人さながら陽明門の階段を上る。
陽明門は唐様とでもいうのか、とても派手。京都や鎌倉の古寺の渋さが好みな僕には、センスのなさしか感じない建物だけど、「眠り猫」だけは拝見して、陽明門の階段を下る。
急な石段は上から見れば勾配がなおさら際立ち、順子さんはまたしても絶句。「下りるほうがこわい」とのあたりまえの気持ちを、「上ったら、下りなくちゃ」とあたりまえだけれど強引な介助で、階段下までひきづりおろす。
順子さんは疲れた様子で、二荒山神社まで足を延ばすのをやめました。歩いて東武日光駅まで戻る気力もなく、観光巡回バスに乗って駅まで戻りました。
この日も、鬼怒川のホテルに泊まり、ホテルのバイキングディナーを堪能しました。そして、翌日帰路に就いたのでした。
今から思えば、歩行困難とはいっても、常に「ふらついたり」、「ペンギン歩き」するわけではありませんでした。道路の傾斜や凹凸にうまく反応できずにつんのめったり、物と自分の間隔距離がとらえられずにぶつかりそうになったり、立ち上がったときに立ち眩みのようによろめいたり、疲れてくると動作が緩慢になったりと、周りから見ても確かに違和感がありました。なにより順子さん自身が自分の体に何がおこっているのか、とても不安だったと思います。それでも、あの頃はまだ健康に近しい状態であったと思うのです。
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