その行動はアートか?
これはアートで、これはアートではない。
こうあなたが判断する理由は何だろう。
美術館にあるからアート?
じゃあモナリザが公園の柵にかかっていたらアートにならないのか?
アーティストがアートと呼んだらアート?
じゃあアーティストって誰のことだろう。どこからがアーティストでどこからがアーティストではないのか。
曖昧で範囲がよく分からないアートの範囲を理解する一つの手段として、
ヨーゼフ・ボイスというアーティストの提唱した概念から考えていきたい。
ヨーゼフ・ボイス
まずは簡単にボイスがどのようなアーティストであるか紹介したい。
ボイスは20世紀の中頃〜終盤に活躍したドイツのアーティストで、脂肪やフェルトを用いた彫刻やパフォーマンスアートを作品として発表する傍ら、政治や環境問題、教育にも関心を寄せて活動を行なった。
ボイスの注目すべき点、これがアートなのかと頭を悩ませるのが社会活動家としての側面。
彼は1972年以後、社会的、政治的活動を活発化させ、1974年社会改革について講義を行う自由国際大学を開設したり、「緑の党」欧州議会議員候補として立候補をした(結果は落選)。
7,000本の樫の木
こうした社会活動家的側面の集大成が1982年、ドクメンタ7という芸術祭で行なった「7,000本の樫の木」というプロジェクトである。どういうプロジェクト(まだここではアートと呼ばないことにする)か簡単に要約すると、ドクメンタが開催されるドイツのカッセルという街に樫の木を7000本植えるといういわゆる植林活動である。
では、本題に移ろう。これがアートであるといっていい理由。それはボイス自身の芸術概念にある。
社会彫刻
それが「社会彫刻」で、彼はこの概念をこのように説明している。
あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない
もう少し簡単に説明すると、芸術とは旧来の彫刻、建築、絵画、音楽、舞踊、詩といった狭義の芸術の枠に囚われず、自らの想像力によって社会のために考え、決定し、行動を起こすという行動は社会という大きな彫刻を形作る芸術であり、それを行う人は皆アーティストであると宣言した。
このフォーマットで考えると木を植えるという行為は、自然豊かな街という大きな彫刻を形成することになる為、この行為は即ちアートであるということになる。
あなたはアーティストか?
では最初のテーマに戻ってその行動がアートかどうか、そしてあなたはアーティストであるか?を考えて終わりにしたい。
アーティストになる為にはボイスのように木を植えなくてはいけないのか?
そんなことはない。
自身の良いと思う社会を作ってくれるだろうマニフェストを掲げる政党に選挙で票を投じることだってアートだし、環境負荷の少ない製品を選択して購入するのもアートだし、もっというと朝起きて隣人に挨拶することですらアートになりうる。そこにあなた自身の作りたい社会と考えがあり、その為の決定と行動であれば。
アートが小難しいものだと思っている人は、そんなに身構えないで欲しい。
あなただって立派なアーティストなのだから。