この宇宙の全てはアートになった
前回のnoteでは、ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻の概念を紹介し、あなたが考えて起こした行動は全てアートだと書いた。
今回はもっと大胆にこの世の全てはアートなんじゃないかという話。
道端の草も、あなたも、あの大きなビルも、地球、それを飛び越えて宇宙の全てもアート。
そんな壮大な作品を作り上げた僕自身も大好きな赤瀬川原平というアーティストと作品のコンセプトを紹介する。
赤瀬川原平
赤瀬川原平はとにかく多彩な人で、芸術のみならず、マンガ、文筆、写真など様々な分野で活躍した。
芸術活動に焦点を当てると、「首都圏清掃整理促進運動」と銘打ってオリンピックの開催に湧く東京・銀座の街を白衣を着て道路の路面を雑巾を使って清掃するという奇妙な活動を行ったり、
千円札の模型を作ったり(この作品は通貨及証券模造取締法違反として有罪判決を受けている)、
マンションの上からモノを落としてみたり、、
とアバンギャルドな作風が特徴。
一見はちゃめちゃな作品ばかりを作っている赤瀬川の作品のなかで注目したいのが「梱包」シリーズ。
包むことはアートなのか
赤瀬川はまず、身の回りの日用品を包むことから始めた。
何でこれがアートなのかを便宜的に説明するなら、日常的にあるものを包むことで普段見て触れて使うモノを包んでしまうことでその機能を奪い、そこにただ存在するだけ、つまり彫刻化してしまうから。とか姿を見えない状態にすることで、モノを対象化させ、包まれたモノについて想像力を働かせる余白が生まれるから。
と説明はここまでに留めておき、いろんなものを包んでいた赤瀬川だが気づいたことがある。
この方法論では行き止まりがある、と。
確かにそうだろう。身の回りのモノを包むことから始まり、巨大なビルを包むくらいまでなら時間と労力とお金をかければ理論上は可能である。
しかし、もっと大きなものを包む、例えば街、都市、国、地球、、、と対象が大きくなると物理的に包むのは不可能になる。
ここで生まれたのが次の作品である。
観念で全てを包み、世界はアートになった
「宇宙の缶詰」という名前のこの作品。
まず当たり前だが缶詰は中に入っているモノ、その多くは食材を密封し、包んでいる状態にある。ラベルが外にあって、ブリキの中には食材がある。
この前提を踏まえて、赤瀬川は蟹の缶詰の外側についているラベルを剥がし、中に張り替えてまた封をしめる。
するとどうだろう。
本来外にあるはずのラベルが中に貼られることで、缶詰の中と外が逆転し、缶詰の外にあるすべてが概念上では缶詰の中に成りかわる。
これにより都市を越え地球、宇宙さえもこの世界の全てはこの作品の中に密封されている状態つまり、アートになったのだ。
何とも荒技だが、巨大化していくと困難になる物理的な梱包に限界を感じた先に生まれたアーティステイックな切り返し。
想像力と遊びゴコロ。
この発想に面白いと感じた人はアートを純粋に楽しむ心があると思う。
一見何かわからないモノと向き合い、自分なりに考えてみる。
アートは作品だけでは存在することができない。
このラベルが逆に貼られた蟹缶も誰の目にも触れなければただのブリキでしかない。
それを作品にするか、ただの金属の塊にするかは見るあなたにかかっている。