こどもの「早くする」、親の「早くする」②「待つ」ということ
こどもが言うことを聞かず、「早く」してほしい時に怒ってしまうというような場面で、どのように対応すれば子供がスムーズに動いてくれるのか。
世の中に無数にある対処法は、とても参考になるし、新たな発見もたくさんある。
その中から目の前のこどもの様子を汲み取りながら選び、実行すれば、スムーズにこどもが動いて対立も生まれないのかもしれない。
ただ、「うまく対処」すること自体が、目の前のこどもにとって、自分にとって良いことなのか。
うまくいくことで、こどもにとって取りこぼす「何か」があるのかもしれない。
「待つ」こととは、「何を待つ」ことなのか
実際には出来ていなくて反省ばかりだが、親にとっては都合悪くても、「待つ」ことでこどもの成長に後々繋がっていくことが、たくさんあるのではと単純に思ってしまう。
「待てない」ときは自分の中で無意識に「時間を守ること、メリハリをつけることは、こどもの今後の為には大事なこと」だと正当化さえしている気がする。
では、「待つ」とはどういうことなのか。
「待つ」こと
◆「待つ」の語源(諸説あり)
日本で松の木は古くから神の宿る神聖な木とされている。
(松は「神を待つ」ことから松という名称になった)
神が木に宿るのを待つ
「もてなす」「そなえる」という意味もあり、受身の姿勢で事を待つ
◆こどもの行動を短期的、長期的な「待つ」ことの意味を分解してみると
・短期的に待つ(待たない・強制する)
親の都合が良くなる
自分で考える力が育たない
反感をもち、対立する
・長期的に待つ
親の都合が悪くなる
自分で考える力が育つ
達成感を得られる
自己肯定感が上がる
短期的、長期的どちらにも「良い面」「悪い面」がある。
親にとっての良い悪い。こどもにとっての良い悪い。
当たり前だけど、こどもにとって「良い」と思えることを優先したいという気持ちは持っているのだが、こどもににとっての「良い」ことよりも、自分にとっての都合を良くすることを優先してしまっているんだろうと思う。
いかに自分が「待てない」か。
待った先に「希望」がないと「待てない」
そんな「希望」が「待つこと」に関連した話を引用したい。
こどもの行動を「待つ」こととは
具体的な「待つ」という行動自体だけを見てしまっているが、「何かが育まれる時間」として捉えられると、また自分の感情も変わってくるのかなと思う。
大人でも思うようにいかない
子育ての専門家がおっしゃっていたことで、妙に納得したことがある。
「分かっていても、やめられない」「分かっていても、始められない」
親の自分で考えてみると、こんなことばっかりな気もする。
自分のことは棚に上げて、「早くしろ」とこどもに無理なことを言っているのかもしれないなと思う。出来ない面ばかりを見て「また出来ない」とマイナスな感情をこどもに持ってしまっている。
いろいろうるさく言ってしまうことは、なかなかやめられないのかもしれないが、出来た時には当たり前と思わず、プラスのことが出来ているのだと思いたい。
こどもと接する際、「こども扱いせず、一人の人間として接した方が良い」と思い込み過ぎているのかもしれない。
こども扱いしない接し方。こどもの状況に寄り添った接し方。
どちらの接し方が良いのかは状況によるが、やはりバランスが大事なのだろうと思う。
グラデーションのある対応
ここまで自分の中でそうしたいなと思えるような理想ばかり書いてきたが、現実にはそんな気持ちを持っていても「待てないものは待てない」。
先に書いた「理解していることでも、いつもは出来ない」ことを何より証明してしまっている。
こんなことを日々こどもに見せているのだから、こどもも同じようになるのは当然なのだろう。
ではどうしていけば良いのか。
「いつも待つ」のは現実的に出来るわけがないので、
具体的にいろんな対応を考えてみると
・「早くしてほしい」と感じる場面が1日に何度もある場合に、何回かに1回は急かさずに待つ。
・時間が決まっている用事などが無く、時間が限られていない場合のみ待つ。
・急かすことはしても良いが、怒らない。
・行動する為の促し方を変えてみる。(結局いつも同じような対応をしているのが現実)
などなど
「待たないで強制する」か、「自分から動くのを待つ」のかというような
0か100かのどちらかではなく、1でも良いから歩み寄るようなグラデーションのある対応というものをしていければいいなと思っている。
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※以下、子育ての専門家の考え方、対処法の引用
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