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みんな山みたいだった

心強かったんだ

今日、やっとその理由がわかった
あぁおれは心強かったんだ

父方のじいちゃんのお通夜に母方のおじさんといとこたちが来てくれたこと
とっても嬉しかった。みんなの帰りを見守って出口まで送ったりした。それくらい嬉しかった

父方のじいちゃんのお通夜に奥さんのお父さんが来てくれてて、思い出写真のスライドで一緒に泣いてくれてた

じいちゃんの同級生が挨拶してたり
お父さんの会社の人たち
おじさんの職場の上司や同僚など
本当にたくさんの人たちが来てた

その時はただ人が流れているようにしか見えなかった
でも今日、いとこのおばあちゃんのお通夜でわかった

おれはとても心強かったんだ

49 days

49日経つと信神深さに関係なくなぜか死を受け入れる準備ができることを、今年のはじめに奥さんのおばあちゃんの法事を通じてわかってた

だから、今回の父方のじいちゃんの49日でもそうなると思ってたし、実際にやっぱり49日を迎えたときには「じいちゃんがいない」というよりは「じいちゃんはそばにいる」になってた

じいちゃんの49日の日、
盆正月で親戚で飲み会をする床の間には
じいちゃんばあちゃんの兄弟親戚家族や近所のおじいさんおばあさんで埋まっていた
日本の高齢化社会の縮図のようだったけど、
その痩せた背中が妙になにかを語っていて
みんな山みたいだった

こんなにも続くのかよ

そして今日は、いとこのばあちゃんのお通夜だった
親族席にはおじさんおばさんといとこが座っていて
ほんの1ヶ月ほど前に父方のじいちゃんのお通夜でみた時とおなじ光景があって
でも今日はじぶんは客観的にそこを見ているのが不思議だった
みんなあまりにも悲しそうだった
こんなにも続くのかよと思った

色んな立場の悲しみ

母が亡くなること
祖母が亡くなること
義理の母が亡くなること
ばあちゃんが亡くなること
奥さんのばあちゃんが亡くなること
友達が亡くなること
地域でお世話になった人が亡くなること

会場にはこれから自分が経験する色んな立場の悲しみで溢れていた
この前経験した親族席を少し遠巻きにみることで
逆にたくさんの悲しみが押し寄せてきた

そして、いとこのおばあちゃんにはおれも小さい時からお世話になっていて
幼稚園生まで本当に3人目のばあちゃんだと思ってたくらい

これからたくさんの人を見送ることになるとおもう
身近なひとほど絶対に別れたくないという気持ちが強くなったけど
必ず忙しくてもお通夜やお葬式には足を運ぼうと決心した

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