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他人からの評価をどう評価されようと気にしない


自分たちは世間の評価を気にしすぎるあまり、他人からの評価をまとも受け止めてしまう傾向がある。


自分らは人格や行動、性格を他人が正確に評価していると錯覚している。もしくはそれに近いところまで来ている。


ただ、他人が自分をどれくらい性格に評価しているかは疑問点であるし考えようがない。

人間は自分の生きてきてた価値観で人を判断する。要は自分の「物差し」だ。


大体の人からの評価は間違っていることが多い為、その「物差しは」一寸たりとも狂いがない正確なモノなのか疑うべきだ。


自分がなぜ今の自分のようになったのかを、自分の生育歴や人生経験についてほとんど知らない赤の他人が、どうして他人を評価できると思っているのか逆に自分にとっては疑問だ。

自分への他人からの評価はその大部分が大いに間違っているということを念頭に置いておくと、自分らしく人生を歩めやすくなる。


他人の評価が自分の生活に悪影響を及ぼさない限り、他人が自分のことをどう評価しようと気にかける必要はない。


他人からのマイナスの評価はかなり差し引いて捉える。


ここでそもそもに、「なぜ人間は他人にマイナスに評価をしてしまうのか」というところだが

まずは日本という国の性質を理解することから始めよう。


この国日本は常識を外れている人がいれば、
日本という国では「おかしい人がいる」「近寄ってはいけない」などと危険因子として淘汰される。


この国はディスられたり、アンチを食らったりして、耐えられなかった人は消えていく国である。


それはなぜか、、幼少期から学校で「人と同じことをしなさい」と教えられまた、「みんなと違うことはするな」と教育されているからだ。


「自分はみんなと同じ行動をしなければいけない」「みんなと比べて自分は今同じことをできているのか」という考えを習慣化されるように幼い頃から洗脳されていることに気づくべきだ。


みんなが体育座りをしていたら自分もしないとおかしい。先生のいうことは聞きなさい。

何か新しいことに挑戦しようとしても、リテラシーの低い親や教育者は危ないからやめなさい。

そんなことをしても上手くいかないと個性を真っ向から否定して子供の好奇心を殺す。


子供の好奇心を否定から入らずに思う存分にやってこいと言える大人はこの国にどれだけいるのだろう。


こういう義務教育のシステムが日本にあって、みんな今では大人になってやりたいことがあるのに我慢し愚痴を吐きながら、死んだ魚のような目で出勤している人がほとんどだ。


自分より眩しい人がいると悔しくて、自分と比べてしまい劣等感で押し潰されてしまう。

その前に人にマイナスなことを言うことで自分を平静で保っていられるようにする。

自分個人の意見になるが、「他人からの評価を気にしない方法」としては
人から言われる必要のないマイナス発言や他人からの愚痴を聞く場面に遭遇した時、

「この人は他人に当たらないと自分を保ってられないくらい自分の人生に余裕がないんだな」と思っておくといい。

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