クロステレ(グラフ・トューン磁器会社)について
ボヘミアを代表するメーカーのひとつであるクロステレの変遷についてまとめました。
■グラフ・トューン磁器会社
*1793年 Johann Nicolaus Weber が陶器工場をクロステレに開窯。
1793〜1800年 Johann Nicolaus Weber Porzellanfabrik, Klosterle
*1801年 Graf Thun (トューン伯爵家) の所有となる。
1801〜1820年 Graflich Thun' sche Porzellanfabrik, KIosterle
1820〜1925年 Graflich Thun' sche Porzellanfabrik, KIosterle a.d.E.
1925〜1945年 Thun' sche Porzellanfabrik, Klosterle
■その他、クロステレに設立された磁器会社
① 1901〜1921年 Venier, Gebruder Porzellanfabrik, Klosterle
② 1910〜1921年 Tuma & Vielgut Porzellanfabrik, Klosterle a.d.E.
*①,②,その他が合併して株式会社となる。
1921〜1936年 Porzellanfabrik Union, Vereinigte Porzellanfabrik AG, Klostele
同社の歴史は、1793年にアルザス地方から来たJ.N.ヴェーバー(Johann Nicolaus Weber)が陶器工場をクロステレに開窯したことによってはじまります。
テューリンゲンのイルミナウ(Ilmenau)とグローゼンフライテンバッハから来た職人により、1794年に初めて磁器焼成に成功し、1795年頃には30人の職人を抱える工場となります。
その後、トューン伯爵家(Graf Thun)に所有が移るも経営は芳しくなく、K.ヴェニール(Karl Venier)がディレクターを勤めた1848〜1860年の間に、海外でも高く評価されるようになり、ボヘミア地方で最も優れた磁器工場の一つとなりました。
1822年からは、オーストリア政府から正式な営業許可の特典を与えられ、帝国王室の紋章を裏印や社印に使用することを許されていました。数多の産業博覧会(プラハ/1836年, ウィーン/1845年, ミュンヘン/1854年, パリ/1855年, リンツ/1865年, エガー/1871年)で次々と受賞を重ね、1848年には王室がウィーン窯を差し置いて、フェルディナント1世のためのディナーセットを発注しています。
全盛期には、質の高い磁器素地や釉薬だけでなく、優れたモデラーや絵付師が揃っていました。1801年頃からは付属の画工学校が存在したようで、同社の見習い画工 R.リーデル(Ludwig Riedel)は、優れた絵付師として1855〜64年の間ウィーン窯のパターンデザインを担当しています。
1830年代から50年頃にかけてはクロステレ社でも、細密な手工芸作品を製作する一方で、転写による風景画などが加飾された安価な量産品も製造していました。それらの安価かつバリエーション豊かな製品は飛ぶように売れ、プラハやハンガリー、イタリア地方などにまで営業支店を置くほどになります。ボヘミア地方において、象牙風磁器、ローズ磁器、ブルー磁器、青磁風磁器のように素地を染めた磁器を最初に製造したのも同社とされており、王宮用の手の込んだディナーセットから、廉価な"マイセン風ブルーオニオン"まで、非常に幅広い製品群を生み出していたことがわかります。
窯業技術的に特筆すべきは、1859年頃にクロステレ社で最も早く石炭燃料でガスバーナーによる磁器焼成が成功していることが挙げられます。当初はコストが嵩んだものの、改良が進んだ結果、製品価格の低下を実現するに至ります。同社の1887年の従業員数は約550人にものぼります。その後、同社の窯設備はマイセン、ベルリン窯にも取り入れられました。
《参考文献》
長井千春・宮崎清(2007).「ウィーン万博における陶磁器分野の伝習地ボヘミア地方の役割」JssD,vol.54,No.2
Dagmar Braunová(1992).『Porcelánová tradice』.
Haas & Czjzek,spol.