エルボーゲン社について
ボヘミアを代表するメーカーのひとつであるエルボーゲン社の変遷についてまとめました。
*1815年 Eugen & Rudolf Haidinger により設立。
1815〜1873年 Gebruder Rudolf & Eugen Haidinger k. k.priv. Porzellanfabrik, Elbogen
*1873年 Springer & Oppenheimer に売却。
1873〜1885年 Erste Elbogner Porzellan & Kohlen Industrie
1885〜1918年 Springer & Co, Porzellanfabrik, Elbogen
1918〜1920年 Österreichische Porzellan Industrie AG, Karlsbad ÖPIAG
1920〜1945年 Erste Böhmische Porzellan Industrie AG, Karlsbad EPIAG
*1945年 国有化される。
1958〜1992年 Karlovarský porcelán
エルボーゲン社は1815年、ウィーン窯の技術的な援助と政府の特典を得て、同窯の白磁を専門に製造する工場としてハイディンガー兄弟(Eugen & Rudolf Haidinger)によって設立されました。
当初はウィーン窯の支社としての機能を予定していたものの、同窯の逼迫する財政状況によって、その役割を担うことはありませんでした。1817年の補助金を最後に、ウィーン窯から一切の援助が期待できなくなります。この頃からエルボーゲン社は、これまでの美術工芸的な製品を第一にした方針では成り立たず、収益を重視せざるを得なくなっていきます。
経営を転換していった同窯は、泥しょう鋳込み法や下絵の転写法など、効率的な製造技術の開発や改良に邁進していきます。それは他のボヘミア諸メーカーにとって大いに刺激となりました。
ウィーン窯閉鎖の際(1864年)に多くのフィギュリンの原形や型を購入し、その製造を引き継ぎました。それらの売り上げは良く、1900年のスプリンガー時代(Sprillger & Co, Porzellanfabrik)のカタログにも掲載されていたほどです。
また、ヨハン ワレンダ(Johann Walenda)がディレクターとして在任した期間(1867〜1886年)は、アンティーク市場を対象としたマイセン窯とウィーン窯の裏印を模した偽作も製造されました。コバルト下絵(染付)によるマイセンを模したブル一オニオンや麦藁菊のテーブルウェアは、テューリンゲンやボヘミアで も売れ筋の商品として盛んに製造されました。
《参考文献》
長井千春・宮崎清(2007).「ウィーン万博における陶磁器分野の伝習地ボヘミア地方の役割」JssD,vol.54,No.2
Porzellanstraße Porzellanwissen Verein Porzellankönigin
http://www.porzellanstrasse.de/cz/cesta-porcelanu/mista/loket.html
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