【#くるくる寺たび】肥前は標準軌の夢をみる
こんにちは。あるいははじめましてかもしれない。龍安寺の歌(@ryoanji1450)です。
人間(これを目にするほとんどの動物は人間という想定があります)は旅をしますか?私はします。できるものなら、しばしば。そういう人が書いた、そういう記事です。旅行記とも言います。
さて、Twitterというおもちゃを持つ身にとって、旅は格好の餌食である。#くるくる寺たび というハッシュタグを追うと、ちょろちょろと日本を蠢く1アカウントを見ることができる(たぶん)。一部の、地を這うような移動がたまらなく好きな層にとっては刺さるかもしれないが、人間の価値観は多様である。針を撒くにとどめておく。
前置きはこのくらいにして、ミイラ職人が鼻の孔から脳みそを出すようにして(やったことないし私はミイラ職人ではない)記憶を引きずり出す。1年以上前なので(2021.3.12-15)、ところどころいい感じに美化されているかもしれないが、記憶とはそういうものだ。
1日目 東京→長崎
金曜日の朝は、休日を目の前に街ゆく人々も少々余裕があるように見える……と言いたいけれど、これだけ朝が早ければ(6:10)私は眠さのあまりその目をこすらざるを得ない。品川が口口口111に分解しないうちに、空港に急ぐ。
ホアンも人間の姿はまばらだった。ホアンを通り抜けるのに毎回バタバタしている(主に上着と飲み物と貴重品をX線干しにしないといけないせいである)気がするけれど、毎秒飛行機に乗っているわけではないのでしょうがないことにする。人少ないし。
優先搭乗などのそれっぽい列を参勤交代に遭遇した旅人のように見送りながら(土下座をする必要はなかった)搭乗。機材は……忘れた。エアバスの、そんなに大きくない(航空機比)やつ。飛行機の形式は毎回覚えようと思って機内誌についているやつを凝視しているけど、毎回降機した5秒後には忘れている。
搭乗してから降機するまで写真が一枚もなかったので、ど真ん中に押し込められていたか、ほぼずっと寝ていたか、あるいはその両方である。
ともかく長崎空港(大村市)に着弾。私の到達都道府県ダービー46位は、沖縄県との熾烈な争いの末長崎県に軍配が上がった。
素直にバスで空港を離脱。長崎空港は海の上に浮かんでいるので、市街地に向かうには細っこい橋を渡らなくてはいけない。徒歩はまぁ厳しいだろうと思っていたところ、誰かが徒歩で往復していたのをのちのちツイタで見かけた気がする。お疲れ様です。
15分ぐらいで大村駅に到着。見事な曇天。途中で運転免許センターの目の前をかすめたのを強烈に覚えているのは、自分がお世話になってから一か月後だった(やらかしたわけではなく、運転免許取得に成功した)からかもしれない。ちなみに大村駅前には「ウルトラ」の文字はなかった。
駅でモニョモニョしていたら真っ青のキハ66が来て一気に意識が九州に引っ張られた。
どうも飛行機での移動は「移動の実感」がすぐには伴わない。半日ぐらいそれに悩まされることもある(主に東京に戻ってきたときにそうなる)けれど、今回は運よく大村駅で自身の身柄を九州に輸送するのに成功した。ありがとう真っ青シーサイドライナー。ちなみに彼らは去る6月に全編成が引退していて、もう大村で出会うことはない。
残念ながら佐世保方面には今日は向かわない。反対方向の列車を待つ。
新しいやつで諫早方面に向かう。途中諫早、喜々津、浦上の3駅にしか止まらない快速。止まらなくてよいので短い市布経由(喜々津から浦上までは線路が2系統に分かれていて、短い方(電化、特急が通る)が市布経由、長い方(非電化)が長与経由とそれぞれ案内される。どの駅にも止まらなければ、どこを通ったのかを気にする私を含むごく一部の人間以外は経路など気にしていないかもしれない)。
大村の駅を出てすぐ新幹線の高架が見えた。今年(2022年)の秋にはもう、ここを交流25000Vが走る。
到着。長崎。カステラと坂のまち(到着時点での偏見)、長崎。今日はこのまちを吸う。
同行者と合流して、駅前のバスターミナルで市電の一日乗車券を購入。必ずしも得だとわかっていなくても買ってしまうもののひとつであるところの、一日乗車券である(結局めちゃくちゃ乗ったので元は恐ろしいほど取れた)。市電に乗って移動。
長崎という地に降り立つにあたり、必ず行かなければならない(と思っている)場所である。
原爆資料館を見学した。入館料は200円。77年前にこの地に起きた出来事を静かに、そして確実に伝えている。資料の展示は、ところどころ良い意味で脈絡がない。在日朝鮮人や中国人の被爆者の体験を伝えた次の部屋に、1945年8月以降の原爆、水爆の爆心地が機械的にプロットされた地球儀があった。受け取る者が意識する展示のつながりによって、展示は完成していた。
市電で南に向かって(その前に赤迫に行って折り返してきた)、長崎を長崎たらしめているところの、出島。ちなみに今は全然「出て」おらず、横を市電がモギョモギョと走り抜けている。展示がしこたまあって見るのに疲れた。というか出島全域で建物がモキョモキョひしめき合っていて床の密度が半端ないことになっている。ここに詰め込まれたオランダ人はストレス溜まりそう。
長崎は誰が何と言おうと坂のまちである。坂は良いが、登るのは疲れる。
モノの輸送に高低差を生かしている。縄もついているので、ケーブルカーっぽくも使えるんだろうか。こんな感じで甲羅になっているのは見たが、結局活用されている現場を見ることは叶わなかった。
坂を満足がいくまでウロウロし(膝がすぐ疲れるのでそこまでウロウロする必要はなかった)、世界遺産(明治日本の産業革命遺産群)のグラバー園に向かう。
世界遺産を覆っている幌も当然世界遺産である。そんなことはない。
グラバー園の敷地から対岸を撮った。対岸も世界遺産。三菱長崎造船所の第三船渠などを捉えている、はずである。
もっとも、これを読んでいる方々は右のほうにCruising Resortが鎮座していることを目ざとく見つけているかもしれない。はまゆうかそれいゆ、どっちなのかはわからず(外観でわかるものなんだろうか)。訪問は3月なので、どちらにしてもまだ出きたてほやほや。
日が暮れたので長崎のほぼ駅前に投宿し、夕飯などを済ませる。
市電を乗り回した。一日乗車券を持っていると、全部乗りたくなる。写真の崇福寺(いくつかある終点のひとつ)は、電停のすぐそばを川が流れていてかなり良かったのだが、暗すぎるのでカメラには何も写らなかった。せせらぎという聴覚に助けられ、肉眼の勝ち。
道路に光る軌道。路面電車のあるまちは、それだけでちょっとワクワクする。ちなみにこれも標準軌。
22時過ぎに宿に戻って就寝。おやすみなさい。
2日目 長崎→佐世保
長崎からおはようございます。
大村線沿いを進んだように思えるが(それもまた魅力的である)、この日は大村線(諫早~早岐)をひと区間も使っていない。
長崎5:47発の普通(佐世保行だった)で、諫早まで移動。このまま乗っていれば今日の目的地の佐世保まで連れて行ってくれるらしいが、そうしたところでたぶん佐世保で二度寝をかますだけである。
40分ほどで諫早に到着。今日のルートは昨日とは逆の長与経由。
30分ほどの乗り継ぎ時間で次の列車の肥前山口行きに乗車。ちなみに、諫早から肥前山口方面に向かう普通列車は1日11本で、このうち県境を越えて佐賀県内に直通するのは実に7本である。ちなみに特急は一日24本。
諫早を出てすぐに長崎県を流れる唯一の一級水系の本流、本明川を渡る。余談だけれど、本明川の流路は一級河川の中では肱川の次ぐらいにひねくれていると思う。
湯江あたりまではかなり市街地も広がっていた。電車は順調に進み、県境に差し掛かる。このあたりは新幹線の開通で架線がはぎとられてしまう区間だ。
山と海が迫る県境を越え(確かにこれは県境を越えて日常的に移動する機会はそこまでないかもしれない)、カーブの途中にある里信号場(たぶん。ひょっとしたら土井崎信号場だったかもしれない)で長崎行の特急と交換した。
諫早から45分、7:51に多良に到着。
多良駅がある佐賀県藤津郡太良町は「月の引力が見える町」として知られている。有明海の干満の差で「見える」というわけだ。
見に来たかったのはこれ。大魚神社の海中鳥居。満潮のときは鳥居が沈みかけるぐらいになるが、干潮のときは沖に続く鳥居をくぐることができるぐらい潮が引くらしい。どちらでもないので真ん中といったところだろう。
駅にのんびり戻って次の列車を待つ。太良町は月の引力だけでなく、みかんとカニも有名だそうだ。カニは竹崎ガニというブランド名がついている。九州で竹崎というと御恩を幕府にせびるしたたかな御家人が思い起こされるが、彼は確か熊本の人だ。
そういえば、さきほど「多良駅がある佐賀県藤津郡太良町」と書いたが、これはどこかで誤字をしているわけではない。海中鳥居の住所も「佐賀県藤津郡太良町多良1875-51」である。より細かい地域の地名が「多良」だから、町の名前に何か秘密がありそう。町のHPを見てみると、
「多良」+「大浦」=「太良」ということらしい。大いに納得しかけたけど、点ひとつぶん誤魔化してません?
駅で待っていたらまた長崎行の特急を見た。これも、新幹線開通で消えるもののひとつ。ちなみに今も特急は太良町内は通過するのみである。あ、言い忘れていた、写真は本当に適当に撮っているので技術その他もろもろは許してほしい。許さなくてもいいけど。この記事は、2週間に1回ぐらい挙動がおかしくなるiPhone7で撮ったやつと、デジタルカメラで撮ったやつをごちゃまぜに使っている(画質で簡単に判別できる)。
多良から40分ほど普通列車に揺られ、佐賀のふたつ手前の久保田で下車。駅周辺はほとんど佐賀の市街地だった。
佐賀から来た唐津線の列車に乗り換え。長崎本線と唐津線はここで分岐する(佐賀まで行ってると余裕がなかった)。キハ47が来て思わず興奮してしまった。どこで乗っても嬉しくなってしまう。
どこかで降りても良かったのだけれど、終点まで来てしまった(キハ47の力だ)。唐津でだいぶ時間があるので、西唐津からてくてく歩き、適当に観光する。
歩いていたら吉野家を見つけたが、2階の雰囲気的にサイゼリヤの脱皮した殻に住み着いている気がする。ついでにいい部屋ネットと床屋が寄生している。
かなり普通に観光した。異常ポイントと言えば、虹ノ松原から東唐津駅まで電車に間に合うべく全力疾走した点ぐらいである。
唐津から移動を再開。筑肥線で南西方向へと向かう。こっちはキハ125。1時間弱で伊万里に到着。どうでもいいんだけれど、キハ125のATSのチャイム(\ジリジリジリジリ/の後に流れるキンコンキンコンキンコンキンコンのこと)がめちゃくちゃ不気味で怖かった。半音にしないでくれ。
伊万里で乗り継ぎの時間があったのでちょっとだけまちをふらふらした。橋に陶磁器がたくさんあって焼物のまちであることを実感させられる。
伊万里から松浦鉄道(元JR松浦線)に乗車。伊万里駅は、駅名標だけを見るとJRと直通しているように見えるが、JRと松浦鉄道の間の線路は気持ちいいほどに道路によってぶった切られていて絶対に連絡できないようになっていた。なんで?
16:21、30分足らずで有田に到着。めちゃくちゃ接続が悪いので、駅周辺を散策しながら待つ。
博多に向かう特急を発見。これはダイヤ改正後も健在のはず。撮っていたら駅員さんからなぜかめちゃくちゃ怒られた。撮っちゃダメとかあるのかな。わからず。
乗るのはこっち。早岐行なので、早岐で大村線からの列車に乗り換えて、17:58に佐世保着。
「JRの」日本最西端らしい。なるほど。ともあれ長崎県第2の都市、佐世保(23万)にたどり着いた。ちなみに3番目は諫早(13.2万)。
クソデカアルファベットシリーズを発見。日も暮れかかっているので、ひとつ博物館らしきものを見学してこの日は終わり。お疲れ様でした。
3日目 佐世保→大村
佐世保からおはようございます。
またもや大村線沿いにしか移動していなさそうな日だが、この日も懲りずに夜明け前から動きはじめる。そろそろ朝起きるのが辛くなってきた。
今日はちゃんと大村線に乗る。朝食のレーズンバターロールなどを載せて、長崎行きのキハ66(4両繋いでいた)のエンジンが唸りを上げる。
右側の車窓にハウステンボスが出現。車内から写真だけ撮ってハウステンボスを見たことにしておく。
7:10諫早着。昨日もこれぐらいの時間に諫早にいた。今日は長崎本線ではなく島原鉄道に乗る。
いままできっぷの話をしてこなかった。1日目は大村→長崎は普通の乗車券、2日目は18きっぷ(伊万里~有田間は普通乗車券)を使った。3日目は佐世保から諫早まで普通のきっぷで来て、ここからは島原鉄道の「島原半島周遊パス(1day)」を使う。鉄道だけでなくバスも乗り放題で嬉しい。
日曜日だったが、学生や高齢者などの利用はそれなりにあった。30分ほど乗って、吾妻で下車。雲仙市役所を拝みに行く(この駅が市役所の最寄り駅だ)……わけではない。ちなみに、雲仙市は平成の大合併で発生した都市で、国見町、瑞穂町、吾妻町、愛野町、千々石町、小浜町、南串山町の7つの町のキメラである。ようひとつにまとまったなぁ。役場がある吾妻町が人口が圧倒的だったかというと別にそういうわけでもなく、むしろ地区別で見ると最も人口が多いのは旧国見町らしい。
さて、吾妻に来た目的は役場でもなければこのマンホール(たまたまあった)でもない。駅から歩くことおよそ20分、「それ」は姿を現した。
何の変哲もない堤防……でもない。両側に水がある。向かって右が諫早湾、左は、干拓地の調整池。そしてこの道路は、諫早湾干拓堤防道路だ。この潮受堤防の締切や開門をめぐって激しい争いが繰り広げられたのは記憶に新しい(というか、この旅行の直前に差し戻し審の判決が出ていたので、これでまた上告されているとすると、まだ続いていると言った方がたぶん正確)。個人的には昔見た「諫早湾に鉄板が落ちる映像」がかなり衝撃的だったので、現地に一度行ってみたかったのである。
堤防は、あまりにもまっすぐだった。
吾妻駅に戻って島原鉄道に再び乗る。30分ほどで大三東に到着。ごちゃごちゃ言うよりたぶん写真を並べたほうが伝わる。
どこを撮っても映える。全国にちょこちょこある「駅自体が観光地」と化している駅のひとつである。ミーハーなのでこういうのは思わず降りてしまう。
有明海がとても穏やか。風光明媚という言葉がとてもよく似合う駅だった。
また次の列車で島原へ向かい、島原を少しだけ散策したあと、島原鉄道の終点、島原港まで南下する。かつてはもっと先まで線路が伸びていたが、廃止されてしまったので今はここまで。
歩くつもりだったが、途中で運よくバスが来たのでバスに乗る。
雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」に到着。1990年に始まった雲仙普賢岳の噴火とそれによる災害について詳しく展示がある。災害だけではなくて、地学的な側面からの展示もあってとても良かった。
歩いていたときに出会った通行規制の看板も、よくある雨量ではなくて「土石流、火砕流」により通行止めになるらしい。資料館(知識)だけでなくて外を歩いていてるときにこういう類のものを見ると極めて実感を伴う。歩いたりバスに乗ったり列車に乗ったりと、私が「地を這う」(とよく自分で勝手に表現している)移動が好きなのはこういうものに出会えるから、という部分が大きい。
敷地は海に面している。かなり遠いが、対岸は熊本。これだけ天気が良くても見えなかったから、たぶん肉眼で見るのは厳しいのだろう。
直接噴火とは関係ないが、島原港を出てすぐに見つけたこの異様な形をした山々は18世紀の山体崩壊によって起こったものらしい。そう、「島原大変肥後迷惑」の「大変」のほうである。噴火を伝える資料館から熊本に意識が向かうのは必然かもしれない。
資料館を後にし、歩いていたところで同行者氏がきっぷをなくしたことに気づいたそう。食料を求めて道の駅を経由してバスを捕まえる予定だったが、バス内で落ち合う作戦を立て、食料確保は私の任務となり、同行者氏はがまだすドームへと疾走していった。
道の駅の敷地内で売っていたので思わず買ってしまった。これはさすがに一人分しか買わなかった。
バスの時間が迫っているのでそれなりの速度で歩かなくてはならないが、山方向に歩いているのでかなり傾斜が急である。バスはもうちょっとだけ海側を走っていて欲しかった。
途中で島原鉄道の廃線跡を横切った。誰がどう見ても廃線とわかるぐらいわかりやすい。むしろ線路がなくなっているだけである。
無事にバス停に到着。同行者氏とも合流できた。きっぷはがまだすドームにあったらしい。よかったよかった。
30分ほどバスに揺られて雲仙に到着。だいぶ山の中に入ってきた。雲仙天草国立公園。日本で最初の国立公園(のひとつ)らしい。
バスを降りるとすぐ地獄と対面する。地獄内を楽しくハイキングできる。日本に住んでいると植生がないというだけでかなり異常に思えるから地獄ハードルは比較的低い。場所柄か、キリシタン関係の記念碑などをいくつか見かけた。
17時過ぎに雲仙を離脱。次はロープウェイの方にも行ってみたい。
バスで国道57号を西に進み、山を下りる。
バスは前にしか扉がないタイプで、なかなか良かった。日中ですら1時間に一本ぐらいあって使い勝手は良いはずなんだけれど、乗客は降りるときまで我々しかいなかった気がする。
30分ぐらいで小浜に着いた。小浜は午前中に降りた吾妻と同じく雲仙市の内臓のひとつ。写真の湯気でわかるかもしれないが、小浜も温泉が出る。
このまちのことは、バスを降りて2秒で好きになってしまった。のんびりした国道沿いにぽつぽつと伸びる温泉街、とてもいい。すぐ近くではなく、ちょっと遠巻きに山が見下ろしているのもポイントだ。しかも、写真に写っていないけど写真の左端は海岸である。山と海と道と温泉を一挙に味わえる。
さて、1日島原半島にいて温泉に触れないのは気が引ける。けれど、当時はよそ者が公衆浴場に元気よく飛び込めるような雰囲気でもなかったから、なんとなく足湯。写真に幕が出ている通り、105mある。どういうこと?と思うかもしれないが、本当に105mにわたって足湯が細長く整備されている。なんで100mじゃないんだろうと思ったら、小浜温泉の源泉の温度である105度に揃えているらしい。源泉熱すぎ。
小浜は海岸が西に面している。そして日は西に沈む。「旅情」の吸い過ぎで過呼吸気味だ。
今度雲仙に来たら小浜に泊まろう。そう決意しつつ、軽くなった足をまたバスのステップにかける。今度はかなり普通の路線バス(扉が前と中にあって、手すりだらけの乗り物)で諫早に戻ってきた。爆睡していたから確認できなかったけど、天正遣欧使節でやたら記憶にある千々石町(雲仙市の臓腑の一)を通過するルート。どうでもいいけど小学生のときから「石」を「わ」と読ませるのに納得できていない。「いわ」からかなぁ。
諫早のバスターミナルもなかなか好みのタイプ(人間は屋内に格納されていて、乗り場に行くのに扉を開けるタイプのやつ)だった。
諫早駅はやたらきらびやかだった。新幹線の駅と言われたらたしかにそうかも、となる外観でもある。
サイネージも新幹線仕様。行った時点ではまだ1年半ある状態だったんだけれど、標準軌の足音はすぐそこに迫っている。
宿の都合で大村まで移動して終了。そういえば飛行機で大村に降り立ったのはたった2日前だ。
4日目 大村→福岡
大村からおはようございます。写真がない。
大村5:58の大村線で北上。暗い時間に大村線に乗るところは昨日とまったく同じである。
6:15、千綿に到着。この駅も、昨日行った大三東と同じく海にへばりつくようにしてホームがある。やっぱり駅そのものが観光地として様々なところで紹介されている。大三東と違って千綿は棒線ホーム(一面一線)が陸側にあるだけだから、ホームでゴロゴロしていても海に落ちる心配はない。
駅前は国道34号線沿いで、高校生がぽつぽつと集まってくる。全国に名を轟かせる「海の駅」のひとつだけれど、通学利用もきちんとある。彼らの邪魔にならないように駅前に避難。木造駅舎に丸型ポストがとてもよい。
長崎行の列車を見送る。思ったより寒い。
大村湾も海が穏やか。
もう1本長崎行を見送って佐世保行に乗車。イカ釣り漁船にしか当たらん。夜は完全に明けた。
早岐で乗り換えて再び有田に降り立つ。今日はテンポよく7分乗り換えで松浦鉄道に乗車。伊万里までは一昨日乗った区間を逆走する形になる。
伊万里から佐世保までは北松浦半島をぐるっと回るようにして走る。この旅行で何度目かわからない佐賀ー長崎県境を抜けて列車は西に進む。
松浦を出てすぐ右側に発電所が見える。電源開発(JPower)の松浦火力発電所。石炭火力。
で、松浦の次の駅が「松浦発電所」で、駅の直前に見えるのが九州電力の松浦発電所。こっちも石炭火力。めちゃくちゃ紛らわしいが、「火力」と名前がついている方が電源開発で、ついてない方が九州電力。でもどっちも石炭火力発電所。発電所ファン(?)としてはなかなか興奮する車窓だ。確かに原料が同じなら同じところに作ったほうが手間はかからんね。
伊万里から1時間、たびら平戸口に到着。
佐世保は「JRの」最西端の駅だったけれど、たびら平戸口は「日本」最西端の駅。ちなみに、2003年に沖縄にゆいレールが開業したので正確には「普通鉄道の中で日本最西端」の駅だ。
さて、たびら平戸口駅は旧田平町にある平戸市内の駅なのでこの名前がついた。ここから平戸の中心部に行くには、橋を渡って九州から平戸島に渡らなければならない。歩いてもよかったけれど、ちょうどいいバスがあったのでバスに乗車。平戸島でしばし散策。
かなり栄えている。
オランダ商館などを見学した。奥に見えるのは黒子島という島らしい。
普通の坂、のように見えるが、寺と教会が同時に見えるスポットとして案内されていた。確かに、奥に教会の塔が見える。不思議な空間だ。
教会にも足を運んだ。日常生活でなかなか教会を身近に感じることがないから(私が日々ボケっと人生を送っているだけかもしれない)、長崎のキリスト教という側面は私の中にかなり強い印象を残した。
中心部に戻ってきた。平戸市役所。本土に市域があるけれど役場が本土にない自治体ってかなり珍しいんじゃなかろうか。赤道ギニアっぽさがある。赤道ギニアは平成の大合併はしてないけど。
さて、平戸市はもうひとつ見ておきたいものがあった。この写真はもはや何の店かすら覚えていないものの店舗情報だが、見慣れない文字が入っている。
免
我々はその謎を解き明かすためにアマゾンに……向かわない。向かうならせめて平戸市立図書館である。どういうわけか長崎県は住所の表し方が独特な地域が多く、ここ平戸市や松浦市、佐世保市、佐々町などで「免」が字単位の地名として残されている。他にも「名」や「郷」があるほか、壱岐市には「触」「浦」なんてのもあるらしい。
どこに行こうかなぁと思って地図と睨めっこしていたらこの住所を見つけた次第だ。住居表示板(青の細長い板とかに「永田町一丁目 1」とかが書いてあるやつ)の類が見つけられなかったのが心残り。「免」が残っている地域には必然的に住居表示がされていないから難しかったかな。電柱とかに住み着いていることを期待していたけれど叶わなかった。
さて、再びバスで九州に戻って、たびら平戸口(ちなみに駅の住所は平戸市田平町山内免418-2)駅から松浦鉄道を南下する。
佐々から一気に乗客が増えた。弓張岳を北に迂回しながら14時過ぎに佐世保に到着。一昨日の宿泊地だ。
まち自体は一昨日少し見たので、食に意識を向ける余裕が出てきた。
佐世保っぽくしようとして海を入れたが、伝わるかどうかはわからず。というか「アメリカ軍の基地がある海に面した町」は必然的に雰囲気が似る気がする。沖縄に行くとまた違うのかもしれないけど。あ、でも佐世保は思ったよりもアメリカ軍然とした印象は受けなかった。私に目に映った軍事施設が海上自衛隊と一緒くたにされているだけかもしれない。
本土最西端(公共交通が厳しい)など行き残したところはたくさんあるが、ぼちぼち駅に戻る。私にしては珍しく土産物屋に入った(何を買ったかは忘れた)。
またイカ釣り漁船に揺られて、佐世保を後にする。イカ釣り漁船はちゃんとYC1系という名前が与えられているが、電飾が完全にイカ釣り漁船。暗いときはまだわかるけど、なぜか日中もきらびやかな漁火を身に纏っている。道南いさりび鉄道顔負け(?)。ちなみにYCはYasashikute Chikaramochiとのこと。電飾は目に優しくないぞ(たぶん)。車内の写真は撮ってなかったけどJR九州全開である。椅子がやたら硬いのと、あとトイレが1両の1/4ぐらいのスペースを取っていた。車端じゃなくてドアとドアの間にある(YC1系は3ドアだ)のも斬新。2両1ユニットで、朝夕の大村線はかなり混んでいたからもうちょっと繋げてあげてもいいと思うけど……
早岐で乗り換え。かれこれこの旅行で4回目。なんなら初日以外毎日通っている。このころからSwarmをやっていたらメイヤーを取れたかもしれない。
30分ぐらいで武雄温泉に到着。西九州新幹線の東側の終着駅となる駅だ。佐世保線はこの駅まで7年前に来たことがある。そのときには新幹線のしの字もなかった。
武雄温泉(駅)から15分ぐらい歩いて武雄温泉(温泉)に到着。門が立派すぎる。
いくつか共同浴場があった気がするが、いちばん基本っぽいやつに入水(400円)。
内湯のみだが、湯舟が「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれている。試しに「あつ湯」に手を突っ込んでみたらめちゃくちゃ熱かったので、「ぬる湯」に腕を突っ込んだらこっちも熱すぎて腕を引っ込める羽目になった。これではあつ湯か超あつ湯かの2択で考えなくてはならない。超あつ湯に悠々と身体を沈めている知らんおっさんに畏怖の念を抱きながらあつ湯(「ぬる湯」)で温まった。
旅の疲れを癒して駅に戻る。武雄市立図書館とか、2014年のある夏の夜にラーメンを啜った店とか(これはごく一部の人間に伝わればよい)、いろいろ見たいものはあったが、だいぶ疲れていたので、妥協。今日中に福岡に行きつかなくてはならない。
ICカードに主眼を置きすぎた書道はさておき、新幹線を受け入れる用意は着々と進んでいた。昔はふつうの2面4線だった気がする。白壁の向こうは1067mmか、1435mmか。
鳥栖行に乗ってひたすら東に進む。もうすぐ名前が変わる肥前山口、佐賀、神埼と通り過ぎる。さようなら肥前、って思ったけど鳥栖はまだ佐賀県内か。
鳥栖で乗り換え。今度こそさようなら肥前。このまま博多まで行っても良かった(門司港まで寝過ごすのは嫌だ)けれど、ちょっと予定変更。
鳥栖行の列車の中で「西鉄乗ったことないんだよね~」みたいな話を同行者氏にしたら(同行者氏はゴリゴリの西鉄使い)案内してくれることになった。二日市で下車して、歩いてすぐの西鉄紫駅に。夜の紫はなんだか妖艶だ。今日は旅名人の九州満喫きっぷを使っているので軽率に西鉄に乗れるのだ。
普通列車に乗って、西鉄二日市で特急に乗り換え。特急もチョコミントだった(西鉄のこの塗装はチョコミントにしか見えない)。特急の車内でいかに寝過ごしが怖いかみたいな会話をした。すごいわかる。元町中華街行の特急に乗っていて、渋谷で降りるつもりが気づいたら中目黒のドアが閉まっていたときの絶望感を思い出した。
西鉄福岡(天神)に到着。頭端式ホームは「ターミナル」感がモリモリ出る。
ほんとは麺(免ではない)を食べる予定だったけれど、何かお達しが出ているらしく店は全滅していた。ここで同行者氏とお別れ。本当にありがとうございました。毎日5時台の列車に乗る行程ですいませんでした。
宿までふらふら歩く。道端に大発生している大量のごみ袋を見つけた。そういえば福岡市はごみを夜間に回収していたような気がする。清掃員の方の負担を除けばよいシステムだと思う(寝坊→ゴミ出し失敗のリスクが減るので)。夜間ぶん割増で労働の対価が払われていますように。
救世主、みんなの食卓。本当にどこも開いていなかったので最終夜にして夕食難民になりかけていた。ナメていると痛い目に遭うタイプの営業時間短縮。投宿して、睡眠。
5日目 福岡→東京
天神からおはようございます。今日はもう帰るだけなので適当に支度。
思ったより早く起きてしまったので博多まで歩く。このビルのテーブルの隅から隅まで仕切りが張り巡らされていると思うとなかなか感無量だ。
地下鉄で福岡空港まで。福岡は空港と市街地が近くて本当に羨ましい。
そういえばFDAって乗る機会ないなぁ、とぼんやり発車標(?)を眺める。行きと同じように保安検査であたふたして、搭乗。
A350だ!たぶん乗るのははじめて。座席数はかなりあったけどガラガラだった。
離陸。さようなら九州。またいつか。
帰りは途中から晴れて、起きていたので写真を撮った。河口見切れてるけど天竜川。
大井川の扇状地 / 三角州と、その奥に宇津ノ谷峠を越えて、静岡市の市街地が見える。前だか後ろだかに座っていた知らない人々が静岡市に大井川を流していてツッコみたくなった。
富士山と西伊豆。富士山は機内もテンションが上がっていた(ように思えた)。
三浦半島と城ヶ島。城ヶ島大橋がくっきり見える。
東京湾と富津岬。
ほぼ定刻通り、無事に羽田着陸。京急とかを乗り継いで、帰宅。おうちに帰るまでが旅行で、おうちに帰ってきた。ちなみに午前中に帰ってきたのは、夕方から労働の予定があったからである。悲しい現実だ。
結局、西九州新幹線が接続するまちのうち嬉野以外のすべてを通った。諫早とかはろくに見てないけど。本明川とか、間近で見たかったなぁ。
この先、肥前という土地は、どんな景色を見せてくれるのだろうか。それが通った足跡をここに書き留めておくことが、次の私やみなさんの旅を豊かに彩ってくれることを期待したい。
今度武雄温泉に行ったら、「あつ湯」に沈んでいるおっさんにその秘訣を訊こうと思う。