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「言う」は責任だ。
子供から大人になっての成長っていくつもある。
身長が伸びたとか、体重が増えたとか、知識が増えたとか。
その中で特に思うのは、
「自分の意見を言葉にして出すことが出来るようになってきたこと」
じゃないかな、と。
ここに至る変化っていろいろある。
1つはやっぱり昔は”言語化する機会の少なさ”があった。その瞬間に感じたものとか、思ったことを外に出さずグッと抑えて、与えられたことを全うする、それに努めてた。
「その状況が丸く収まればいい。そのための犠牲はいとわない」
そんな生き方だったと思う。
それで何とかしてきたんだから、ある種器用な人間なのかもしれない。だけど結局それらって”その場しのぎ”のオンパレード。あとからその代償を受けるのは自分自身だった。
そこから徐々に言葉にすることと向き合うようになった。少しずつ表現が増えた。note等で言語化する機会が増えた。結果的に自然と「その時自分がどう思っているか」を外に出せるようになった。
もう1つの変化は、1つ目と通ずる部分もあるけど”自分と向き合う時間の変化”だ。昔ってそれこそ「自分がどう感じてるか」みたいなこと感がていなかった気がする。自分がどんな役割を担えば、その場は一番いい具合になるか、そんなことばっかり考えていた。
”不穏””不都合”そんな空気が嫌だった。育ってきた部分の影響かな、とも思うけどそんなの誰も正解は知らない。
話は戻して。そんな私は自分と向き合うことからずーっと逃げていた。自分と向き合ったら、今の状況がおかしいということに気付いてしまうのが分かっていたから。パンドラの箱を開けてしまうことになるとわかっていたから。そこまでする勇気はなかった。
でも大人になるにつれ、真正面から自分と向き合うようになった。そういった意味では、自分の人生に対して徐々に責任と覚悟が芽生えてきたんだと思う。いや、最初から持てよ、という感じだが。
ようやくここから本題。
そういった上記の変化を踏まえ、最近の自分はその瞬間自分が思ったこと、その時言っておいた方がいいと思うことをちゃんと言葉に出来るようになってきた。
昔だったら、
「今はこう言っておけば場はうまく収まるだろうな」
と思うことも、それよりも自分の主張がある場合は言えるようになった。
”言っておく”って自分を守る行為でもあると思うから。
言うことでその通りになるとは思っていない。言っても伝わらないことだってある。自分だけでは成り立たない、それが「社会」だから。
でも言わないと伝わっていない。
思っているだけじゃ存在していないのと同じ。
言わないことで、我慢して周りが良くなって自分だけしんどくなっていくことなんて、今の自分は望んでない。
それにそれに、
「言う」って責任だと思う。
自分への宣戦布告だと思う。
言ったからにはその通りにやらないといけない。
結果で証明しないといけない。言えば叶うと思っちゃいけない。
言ったからには、それ相応の行動と覚悟と責任を。
でもその方が自分の人生って感じがして、いいじゃんね。
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