見出し画像

「参考」と「鵜呑み」の線引き

参考にすることは大事だと思う。
だけど鵜呑みにするのは危ないと思う。

これが私の流儀?だ。

まずは言葉の定義から確認したい。

参考:考えをまとめたり、物事を決める際に、手がかりや助けとすること。また、その材料。
鵜呑み:物事の真意をよく理解せずに受け入れること。

この言葉の意味を見ただけでもお分かりは頂けるだろう。

まず勘違いしてほしくないところとして、私は人のものを真似したり参考にしたりすることには大賛成である。

むしろ自身がいち早く成功を掴むために必要なのは、すでに成功している人のやり方を踏襲することだと思っている。最初からオリジナルで貫くのも悪いとは思わないが、少々効率の悪さも否めない(個人差はあると思います)。

ただ、何も考えずに「真似しておけばいいか~」でやるのはダメだと思っていて。その状態が❝鵜呑み❞にしている状態だと考える。

自分なりに噛み砕こうとせず、丸のみする感じ。
もしかしたらそれで上手くいくこともあるかもしれない。だけど上手くいったとしても、この状態じゃ、なんで上手くいったのか自分でも理解できていないと思う。それじゃ時間がもったいない。

時間短縮のために成功例を参考にするのに、かえって時間の無駄をするなんて本末転倒だ。

やっぱり「自分が考える」ことを止めちゃいけない。


ここまでは「自分の行動」視点で「参考にする」「鵜呑みにする」を書いてきたけど、これとは別の場面でも参考と鵜呑みの線引きが必要な時がある。

それが私の仕事でもよくつかわれるが「コミュニケーション」の場面だ。

とりわけ就労支援の現場だと、ご利用者様と面談をする機会が多い。例えばご利用者様同士でトラブルがあったり、ご利用者様とその方の就職先でもめ事があったりした時、面談の場を設定する。

当人には当人の言い分がある。
それは当人の解釈によってフィルターがかかった視点から見える景色によって語られる。

その状況を知らない「私」からすればその言葉を信じたくなるが、その言葉を鵜呑みにしてはいけない。それはあくまで「当人A」の視点に過ぎないから。みんなわざわざ自分にとって都合の悪いようには言わないからね。

だから「当人B」の話もちゃんと聞かないといけない。きっと当人Bも自分の解釈によってかかったフィルターで見えた景色によって説明をしてくれる。それも間違いではない。だけど鵜呑みにしてはいけない。あくまで参考に。

こういうのって鵜呑みにしようとすると、感情が引っ張られてしまう。その都度その都度感情が引っ張られると結局何が正しいのかわかんなくなる。

あくまで第三者は冷静な立場でないといけない。そこに「私」の主観は不要だ。双方の意見は参考程度に、そこから落としどころを見つけていかないと。


ここまで2つの場面での「参考」「鵜呑み」の線引きについて話してきた。
要は何が言いたいかというと、結局私たちは考えることを放棄しちゃいけないんだと思う。(これまでも何回か記事にしたことはあるが)

自分の目で見た情報と、耳で聞いた情報を踏まえ、自分なりに考える。

この習慣は常に大切にしていきたいところだ。

いいなと思ったら応援しよう!

塩浦良太
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!