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言葉や文章は諸刃の剣

諸刃の剣:《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。両刃の剣。

私たちは普段何気なく日常会話で「言葉」を発し、何気なく日記やSNSなどで「文章」を書く。

この何気なく使っている「言葉」や「文章」は諸刃の剣だと思っている。


言葉や文章というのは、

時に人を優しく包み込むが、時に人を突き放す。
時に人の背中を押すが、時に人を追い詰める。
時に人を敬うが、時に人を簡単に分ける。

ものだと感じている。

そう、つまり簡単に”武器にもなるし凶器にもなる”のだ。

しかし私たちは普段どれだけ意識して言葉や文章を発信しているだろうか。
どれだけ発信した先にいる人や対象を意識しているだろうか。

「○○さんの言葉に救われました」というコメントがあるかと思えば、感情のままに発した言葉が時に「誹謗中傷」「いじめ」となってしまい、人を傷つけた事例も後を断たない。

いざ第三者的な冷静な立場に立てば、それが良くないと判断できるのだが、つい自分が当事者になっていると盲目になってしまいがちな部分でもある。

私自身もこうやって毎日「note」という場で文章を発信している立場として、自戒の意味も込めてこの記事を書いている。自分はどれだけ意識できているのだろうか。

基本的には言葉や文章には気を配って発信しているつもりではあるが、それも主観的な判断であるため確実とは言えない。もし誰かが傷ついたのであればそれは自分の注意が足りなかった結果である。

ましてや記事を書くときは、集中して自分の世界に入って書いてしまうこともあるため、思っている以上に意識をしていないと気づかないということになりかねない。

でもだからといって気を配りすぎて、上辺だけの言葉では相手に何も伝わらないという事実もある。相手のことを気にしすぎるがあまり、結局何を伝えたいのかわからないものになってしまっては元も子もない。

時にグッと踏み込む必要がある。そこの駆け引きが難しい。

”慎重さと大胆さのバランス”、これは永遠の課題である。

しかし今この瞬間から出来ることだってある。
あるドラマの言葉を使えば、

「グッ、クルッ、パッ」

だ。

何かを発する前に一度グッと踏みとどまって、クルっと頭を回転させて冷静に判断する。そうすればパッとそれが正しいかどうか判断が出来る

私たちは常に誰かを助け、後押しする武器と、誰かを傷つけ、苦しめる凶器を持ち合わせている。そしてそれは自分次第で使い分けることが出来る。

誰かを助け、後押しする武器として全員が使うことが出来るようになれば、今より少し「いい環境」がつくられると思う。

だからこそまずは、自分が武器も凶器も持ち合わせていることを自覚し、グッ、クルッ、パッを意識することが大切なんじゃないかなと思っている。

私自身、そのことを意識してこれからもnoteを書いていきたい。

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塩浦良太
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