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人生は、ネタ探しだ。

「なんでそんな継続できるの?」


何人かの人は、僕のnoteを見てそう言ってくれる。

その時、いろんな答え方をする。

「アウトプットする力が身につくから」
「自己分析できるから」
「つながりに輪が広がるから」

そのどれもが嘘を言っているわけではなく、一つ一つが真実だ。

だけどちょっと建前な部分もある。

本音の答え、本音のnoteを継続できている理由はシンプルだ。

それは、

好きだから。


ただそれだけ。

僕はnoteを書いている時間が好きだ。

どんな時間よりも没頭できている。自分の世界に入れている。どんなに疲れていても、「note書かなきゃ」と思う自分がいる。

でもそれは焦りじゃない。

欲している自分がいる。書きながら自然と笑っているい自分がいる。なんかのアニメの強キャラみたいだ(笑)


そして自分のnoteに関わってくれている人が好きだ

フォローしてくれている人、スキしてくれている人、コメントしてくれる人、読んでくれている人。

音声なら「○○しながら」が出来るけど、文章はそうはいかない。しっかりと目で見ないといけない。

自分の時間を割いてまで、僕の文章に関わってくれる人がいるということが本当に恵まれている。


だからもう、noteは自分の生活の一部なんだ。

朝起きる、ご飯を食べる、歯を磨く、それと同じくらいの立ち位置に「noteを書く」がある。


だから別に大変だとかしんどいだとかそんな感情はなくて、ただただ楽しくて好きで書いているといった感じか。

そのことに気づいたとき、

「あ、僕の人生の目的は”ネタ探し”だな」

と思った。

確かにいろんな人生の目的のかたちはある。

「○○のような人になりたい」「○○な社会をつくりたい」「○○のような未来を実現したい」、そういったでっかくて希望に溢れていて、実現したらすげーだろうなと思う目的を掲げることが多い。

僕自身もそういった人生の目的を持っている。

だけど、だけどそれはあくまで「コンパス」、自分が目指す方向性であってそれが全てじゃないんだなと気づけた時に結構心が軽くなった。時にそこに対しての不甲斐ない自分に、息苦しさを感じることもあったから。


そんな時にわかった。

日常生活の中には、いろんな面白いことや楽しいこと、ワクワクすることがあるけれど正直noteを書くには追い付かない。現状は。

むしろnoteのネタにするために、楽しいことや面白いこと、ワクワクすることに触れている感じだ。

だからこそ、自分の人生の目的は”ネタ探し”なんだって。
継続的に”ネタ探し”を行っていって、最終的にコンパスが指し示すところにたどり着けたら最高だなって。


そう思った時、Twitterで偶然こんな投稿を見つけた。

自分自身影響を受けた『人生の勝算』という本を書かれた前田裕二さんの投稿だ。

「何かネタがあるから」書くのではない。
「書こうとするから」ネタが生まれる。

まさしくだなと思った。


自分の人生は、何かそこに「答え」があるから頑張れるんじゃない。
何かをしようとするから、行動しようとするからそこに「答え」が生まれるんだ。

ネタ探しに成功も失敗もない。

というよりかは、成功も失敗もネタになる。

そう思えた時、少し未来が明るくなった気がした。

これからの毎日がもっと楽しくなる気がした。

やっぱり人生は、ネタ探しの旅だ。

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塩浦良太
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