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言葉と距離感のチューニング
言葉って難しい。
一体この話題は何回目だろう?ってくらいに「言葉って難しい」と言ってる気がする。でもほんとだから。だから追究したくなっちゃうのかもしれないけど。
今回の難しさは言葉選びというか、言葉遣いというか、ちょうどよく表現したのが「言葉と距離感のチューニング」だ。
チューニング:調律する。音楽において楽器の音の高さを合わせること。
そもそも言葉ってなんであるんだろう、と考えた時に、それは「自分が伝えたいものを相手にもわかるように伝えるための道具」としてあると思ってる。だから伝わらないと意味がない、というのが前提にある。
したがって”伝わる言葉選び”というものを意識してやっていくのだが、伝わればなんでもいい、っていう話じゃないからまた難しい。なぜなら言葉は相手との関係性によって選ばれるものが変わってくるから。その代表的な例が「敬語」だったりする。
日本には敬語という文化があり、国語の授業でもあり、日常において特に目上の方や初対面の方に使うことが多い。使わないと無礼だという印象も与える。それ自体は特に難しいことではないと思っている。だってそれが文化だから。ここまで疑いだすのは今の論点ではない。
難しいのは「敬語を使っているからといって丁寧な印象を与えないことがある」ということ。「過度な敬語や態度によって、かえって距離感を生み出し、何も伝わらない現象がおきかねない」ということだ。
これだとちょっとわかりづらいので例を挙げると、
「あの人、丁寧に敬語でしゃべってくれているんだけど、距離を感じるというか、なんかバカにされている感じもするんだよね」
ということを耳にしたことがある。「なるほどな」って思った。敬語を使っているからいい、丁寧だからいい、ってわけではないんだなと。
この話を耳にして1つわかったことがある。
それは、
言葉って「温度」なんだな、
ということ。
文字面だけで会話しているわけじゃなくて、文字に音と感情が乗っかって私たちは会話している。そのどちらにも「温度」がないと相手には冷たく伝わるんだなと思った。
だからといって全部くだけた感じでいいわけではなく、尊敬は忘れちゃいけない。全部丁寧にいったほうがいい場合もあれば、時折フランクさを交えた方が伝わる場合もあって。
そこの言葉と距離感のチューニングをうまく合わせられるかが肝心だったりする。このチューニングを人によって自由自在に操れるようになったらもう最強だと思う。
音楽の成績はあんまりよくなかった気がする私だけど、言葉と距離感の「チューニング」に関してはうまくありたいと思う今日この頃である。
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