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「どっちが正しいか」より「どっちが楽しいか」

私はnoteの記事の内容は、その日に思い浮かんだことを書くのがほとんどだ。たまに、「今日はこれを書こう」とあらかじめ決まっていることがあるが、多くの場合は普通に生活を送りながら、

「今日なに書こうかな~」

とダラダラ考えている。

一瞬で思い浮かぶ時もあれば、なかなか思い浮かばない時もある。毎日書いているとそんなものだ。自分のインプットの少なさを痛感している。

そして今日はすぐに浮かんでこなかった日。

しかしフッと頭に、ある言葉が降りてきた(カッコよく言ってみた)。

それが、

「どっちが正しいか」より「どっちが楽しいか」

という言葉だ。正直誰の言葉かはわかっていない。だけど何となく耳にしていたことのある言葉だし、大事にしたいと思った言葉だった。

調べるとこれは実写映画やアニメ化もされた人気漫画『宇宙兄弟』に出てくるセリフらしい。

主人公ムッタの隣人(友人)のシャロン金子博士のセリフとして、

迷った時はね、どっちが正しいかなんて考えちゃダメ。 どっちが楽しいかで決めなさい。

というものがあるという。私は『宇宙兄弟』を見たことはなかったのだが、見てみたいと思った。

今回はあくまで私なりの考えとして、この言葉について考えていきたい。

・・・

そもそも「正しい」って何だろう。毎回こういったことを考えると哲学みたいになってしまう。哲学を専攻したことはないのに。

実際この記事を書くにあたり「正しさ」について結構考えた。でも答えは出なかった。でもこれが答えなのかもしれない。

「正しさ」は場面場面によって姿形を変える。そこに「絶対」というのはなかなか存在しない。

押さえておきたいポイントとして、”正しさを追求することは決して間違っていない”ということがある。わざと悪いことをする必要なんてない。失敗するとわかっていてわざわざ失敗しに行くのも、あまり頭のいいやり方だとは思えない。

・・・

ポイントを押さえた上で、タイトルの言葉を考えてみたい。

もちろん明らかに善悪がはっきりしているものに関しては悩むまでもなく分別がつくケースが多い。だけど悩むケースというのは、どっちもメリットデメリットがあるケースで、どっちがいいかわからないときだ。

私が好きな野球で例えるならば、期待値がものすごく高い高校生の選手が、「高卒でプロに行く」「いきなりメジャーリーグに挑戦する」「大学進学してそれからプロを目指すか」といった感じであろう。

就活で例えるなら、「民間就職する」「公務員を目指す」かというのがわかりやすいかもしれない。

結論から言うと、明確な「正しい道」というのはない。

言ってしまえば、どの道も「正しい」かもしれないし、どの道も「間違っている」かもしれない。その瞬間にわかるものではない。いかに自分が選んだ道を「正しく」するかが大事なのであって、選ぶ前から決められている道筋などない。

ではどうして「どれが正しいか」で選んでしまいがちなのか。

いくつか要因はあると思っている。

周りからの見られ方、親からの期待、先の見えない不安などなど。実際私自身もそれで苦しんだこともある。

しかし上で書いたように、何が「正しい」かその正解が明確ではない状態なのに、「どれが正しいか」で選ぶことほどもったいないことはないなと最近気づいたのである。

同じ失敗でも、本当に正しいかわからない「正しさ」を選んで失敗して後悔するくらいだったら、「楽しい」と思った方を選んで失敗した方が納得がいく。というかそもそも「正しい、正しくない」の判明はいつ出るのか。

決断を下してから、正しいかどうか判明するまでにはかなり長期間のタイムラグがあることは間違いない。そのため、一度何かを選択したならば、その後のタイムラグの間に、自分の納得のいくくらい努力をして、自分の過去の選択を正しかったと証明してやればいいだけ

そしてやらされる努力よりも、自分が楽しんでやる努力の方が効果が大きく、そして長く続くのは目に見えている。

・・・

頑張る、努力、継続する力………

これらのようにその人のひたむきさストイックさ真っすぐさを表している言葉というのはいくつもある。しかし言葉だけが独り歩きしている。

抽象度が高く、そこに具体性がない。だから言語化していく必要がある。

その言語化の一例として、上記の言葉を実行できるかどうかのカギは、結局は自分が楽しめているかどうか、なのかなと思っている。

もちろん「正しい」ことをやることは大事。ただ、「正しさ」の幻想に惑わされそうになったら、縛られそうになったら「楽しさ」を選択の基準に置くことを意識していきたい。


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塩浦良太
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