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しなくてもいい苦労は、しなくていいと思うんだ。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」


そんな言葉が世の中にはある。

別にこの言葉を真っ向から否定するつもりはない。

でも、しなくてもいい苦労は、しなくていいと思うんだ。

自分の甘さで、自分の妥協で、自分の目標のためにのしかかる苦労はしてもいいと思っている。

何かを得るためには何かを失うことだってある。

そりゃすべてを手にすることが出来るならそれに越したことはないけど、人生はそんなに上手く出来ていない。それが大変な部分でもあるし面白い部分でもある。

でもその責任というか、原因が「自分」ということがはっきりしていれば、納得はいく。


その一方で世の中には「しなくてもいい苦労」もいっぱいある。

「自分」が原因ではないのに、巻き込まれてしまっていること、自分も影響を受けてしまっていること。

例えば家族。

”貧困は連鎖する”といった言葉を耳にする。

それは直接子どもが原因ではないことが多い。だけどそこから打開することが出来ないと、結局子どもにも影響が生まれる。

お金がすべてじゃないんだけど、お金が少ないことによって経験も貧困になりかねないことを考えると、あるに越したことはない。


家族の温かさを感じられずに育ってしまう子もいる。

幼少期の経験は、その後成長していく過程で深く影響していく。幼少期の経験をもとに価値観や考え方が固まっていく。

もちろん人間は変われる生き物だから、途中で変えていくことも出来るとは思うけどそれは決して簡単なことではない。

自分のせいじゃなくても、自分が生涯背負っていかなければならないものにもなっていく。

当事者はもうその事実を背負っていくしかないのだから前向きに解釈していくしかないんだけど。



私の例を挙げると、よく「兄弟は?」などと聞かれた時に自分の家族の話をする。

「幼少期に家族が離婚して、姉とも別々になって、借金があって、○○で、、、、」

もちろん美化出来る話でも、自信持って話したい話でもないんだけど20年以上もこの事実と向き合っているとある程度前向きに解釈できるようにはなっていて。

でもこの話をすると中には、

「その話を聞くと、私って何も苦労してこなかったんだな、って思う」

と言われることがある。

そう言ってくれた人に対してはこう返す。

「しなくてもいい苦労はしなくていい思う。これはしなくていい苦労だとお思う。」

別にこれは自分の過去を否定するわけではない。

と同時に、相手に対して苦労してこなかった「自分」の過去を否定する必要はないよ、と伝えたいのだ。

何が「幸せ」かはわかんないけど、何が「当たり前」かはわかんないけど、受けるべき愛情はしっかり受けた方がいいし、用意されている環境は十分に生かせばいいと思うから。

そこからそれをどう生かすかの選択や判断は、自分で決めていき苦労していけばいいと思う。

でもそれ以前の部分は、わざわざ苦労する必要はないのかな、って。
愛情を与えることやいろんな世界を見せてあげること、ある程度の環境を整えてあげることは親の役割な部分もあるのかな、って。

親になったことはないから説得力はないんだけど(笑)


自ら買う苦労はどんどんしていけばいい。

それが自分の血となり肉となり骨となる。

だけどしなくてもいい苦労は、しなくていい。先に生きている自分たちが出来ることは、これからを生きていく少しでも多くの子どもたちが、「しなくてもいい苦労」をしなくてもいい状況にすること。

そのために何が出来るかは、考えていかないといけない。

言っているだけじゃ何も変わらないから、考えて考えて行動していかないといけない。


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塩浦良太
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