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「継続」について

noteのデザインが少し変わった。

「投稿」を押すと、連続投稿の日数が表示されるようになった。
そこで改めて気づく、

「あ、もうすぐ1000日だな」

だからといって特別何か準備をしているわけじゃないけれど、ただただ単純に積み重ねてきたなって思う。その積み重ねがこうやって可視化されるとなんか嬉しい。

だいたい1記事1000字は書いてるから、単純計算で1000日×1000字で100万字。やばい、本出せるレベルで書いているじゃん。(笑)

ここまで続けてきたから言えることだけど、「継続」ってそれだけでブランディングになる。自分は何も変わっていないけど、ただ続けてきたきただけで、

「すごいですね」
「私には出来ませんよ」
「ネタどうやって浮かぶんですか」

と言われることが増えてきた。誰も知らない状態で、知り合いとかもいない状態で始めたのに、続けるだけで見てくれる人が増え、続けるだけでなんか説得力が生まれている。

嬉しい反面、もっと言葉に気を付けないと、見られているってことを意識しないと思わないといけないから身が引き締まる。それで自分の首をしめちゃ元も子もないんだけどね。


何で続けられたか、って「好き」だから以外の何ものでもないと思っている。

最初から「好き」が目的だったかというとそんなわけじゃなくて。
アウトプットする力をつけたいだとか、自己分析する力をつけたいだとか、そんなことが狙いだった。でも気づけば「好き」になって、気づけば続けてて、気づけば好きを通り越して日常の一部になっている

継続するってそういうことじゃないかなって思う。

「好き」だけで続くものではないし、「必要だから」だけで続くわけでもない。「好き」と「必要」が組み合わさったとき相乗効果を生んで続く。でやがてそれが習慣になり、好きとか必要の枠を飛び越えて、生活の一部になる。

noteが継続できるからといって、じゃあ何でも継続できるかというとそんなわけじゃなくて。

これは過去の記事で書いたこともあるけど、「継続出来ることはもちろんすごい。だけどそれだけがすごいんじゃなくて、継続できるものに出会えたことがすごいんだ」という想いが常にある。

その出会いって、やっぱり自分のことを知らないと選択肢としてあがってこないし、選択肢としてあがってきてもそれを選んで挑戦しないと好きかどうか、続くか続かないかもわからない。

だから偶然noteという何不自由なく継続できる環境に出会えた自分は恵まれているし、今何も継続できるものがないと思っている人も、あなたに継続できる力がないんじゃなくて、まだ「それ」に出会えてないだけだと思う。

でも待っててもやってきてくれるわけじゃないからこそ、きっかけに敏感にならなくちゃいけなくて。そのきっかけって、誰かから差し伸べられる手がある場合もあって。

それは直接的じゃないにせよ。

私だって、友達が偶然noteに1記事だけあげているのをTwitterかなんかで見つけて、

「あ、こういう媒体があるんだ」

って知ったところから今がある。油断してればスルーしてしまいそうな状況だけど、その時に「しっぽ」を捕まえることができた自分を褒めてあげたい。きづけばもうすぐ1000日だから。


差し伸べられる手に気づける余裕は持っていたいし、どんなことに対しても「もしかしたら自分に必要なんじゃないか」と思って、そこから取捨選択していける余裕を持っていきたい。

そうやって選ばれたものが継続されれば、それだけでそれが自分の「ブランド」になっていく。


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塩浦良太
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