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だから私は言葉を「磨く」

私は自分が発する言葉、自分が選ぶ言葉を「磨いて」いきたいと常々思っている。だからTwitterだったりnoteだったりで発信している。

もちろん発信するには多くの理由がある。

これまでも何度か言及してきたが簡単におさらいすると、

・自分がいいと思うものを届けたい
・自分という人間に興味を持ってもらいたい。
・誰かのきっかけになったら嬉しい
・そもそも「言葉にする」という行為が好き

などといろいろあって。

それ以外に挙げるとしたら、

多くの人に見られる場所に「自分の言葉」を投げることで
自分の言葉を磨いていく

という狙いがある。だって自分の日記帳に書いておけばいいことをわざわざ全世界の人が見えるところに投稿しているんだから。

で、ここ浮かぶ疑問が「磨く」って何か。

正直まだ答えが見つかったわけじゃないけど、これまで2年以上noteを書き続けてきた中で何度か「磨かれたなぁ」と思う瞬間はある。

例えば、言葉選び
こういった語尾だったり、比喩だったりを使うと反応がいいなぁとか。反応がいいということは伝えたい想いが伝わっているんだなって思う。

例えば、配慮
自分の何気ない言葉選びで、知らず知らずのうちに傷つけてしまったこともある。もしかしたら気づいていないだけでもっと傷ついているかもしれない。「そんな全員が納得のいく言葉なんてないよ」という意見もあるかもしれないし、私もそう思うが、なんせ傷つけた時はその言葉選びが傷つける可能性があることを想像できていなかった。「もしかしたらこの言葉選びで傷つく人がいるかもしれない」、それを想像できるかどうかで、同じニュアンスを伝えたくても言葉選びは変わってくる。そういった配慮を少しずつ出来るようになった。

例えば、新しい視点
ありがたいことに自分の書いた記事にコメントをいただくことがある。そこには自分が見えていなかった視点も多く含まれる。本当に助かっている。自分の言葉は誰かから受け取った言葉の数々で出来ていると思っている。そういった意味で言葉の引き出しが増えるのはものすごく嬉しい。

それが今の自分にとっての言葉を「磨く」の言語化。


次にぶつかるのは「じゃあどうして言葉を「磨く」のか」ということだろう。

発信する理由は冒頭でいくつか述べ、その効果をあげるために言葉を磨く節もある。でも正直それはおまけだと思っていて。

一番の言葉を磨く目的って、なんなら発信する理由って、

自分にとって大事な人を守りたい時に守れる武器を持つこと

だと定義している。

家族、友達、恋人、先輩、後輩等々。
極論自分の好きな人たちを守りたい時に守ることが出来たらそれだけで自分は満足だなって思っていて。というか、自分にとって大事な人も守れないのに、その先にいる多くの人を守ることなんて到底できないなと思っている。

守るって実に抽象的で、守るにもいろんなケースやいろんな選択肢があるけれど、誰でもできる守る手段って「言葉」だと思っている。

実際私は言葉で救われたことがある。

そんな人に私はなりたい。



だから私はこれからも言葉を「磨く」。

磨いて磨いて磨き続ける。
大事な人を守れるための武器にするために。


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塩浦良太
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