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ふとした瞬間に空を見上げようと思って顔を上にあげた時、首の後ろが小さくピキッと音を鳴らすことがある。その時に思う。

「あ、全然上見てなかったな」

子供のころは空ばっかり見てた気がする。

天気を気にしていた。
今日晴れてほしいな。外で遊びたいし。運動会あるし。遠足だし。
今日雨降ってほしいな。プールの授業嫌いだし。新しい傘買ったし。
陽が暮れるの早いな。もう帰らなきゃ。
星空綺麗だな。月綺麗だな。

1日のはじまりも、1日の終わりも、「空」を見て感じていた気がする。

いっぱいいっぱい上を見ていた。


あれから数年が経ち、世間的に「大人」に分類される年齢になった。

朝目覚めて時間を確認する。仕事に行く。仕事をする。定時になる。帰る、もしくは残業する。時間を見る。「あ、寝ないと」となる。寝る。そしてまた朝起きる。

今はなんだか「時間」で1日を感じている気がする。
自然と上を見る機会が減り、目の前のことに精一杯になっている気がする。目の前に広がる世界には情報量がいっぱいで、それを受け取るだけでお腹いっぱいになる。

いつからか空を見上げる余裕がなくなっていた。
それと同時に心の余裕もなくなっていた気がする。

だけど余裕がなくなっている時ってそのことに気づかない。
空を見上げた時になる首の音で、しばらく首を動かしていなかったことに気づく。

子どもの頃と何が変わってしまったんだろう。
少なくとも空は何も変わっていない。
朝も昼も夕方も夜も。
晴れも雨も曇りも。
その時々で表情を変える。それに過去も現在も違いはない。

空を見れるから余裕があるとか、空が見れないから余裕がないとか別にそういうことではないと思っている。

見たくて見ている人もいれば、見れるけど見ていない人もいるだろうから。

だからこれは個人的な話にはなるんだけど、
私は、私は空を見て1日を感じれる人でいたいなって思っている。
せめて1日の始まりと終わりは、上を見て終わりたいなって。

それが何を意味するかはわからないし、
それが何の役に立つかはわからないけど、
日中の間ずっと正面見たり、下向いたりしているんだから、1日のうちのどこで上を見る時間があってもいいんじゃないかなって。

それに子どもの頃の気持ちを忘れたくないなという想いもある。

あの頃は1日に全力だった。
1日が終わることを惜しんでいた。目の前の1日がすべてだった。
将来のことなんてそこまで考えていなかった。

大人になることでもちろん成長していくものもある。いい意味で変化していくものもある。だけど失いたくないものもある。その一つが1日1日に真剣に向き合うこと。1日の始まりと終わりを空で感じ取ることだ。

今日もまた1日が終わろうとしている。
だから空を見上げる。


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塩浦良太
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