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過去の自分を顧みれるか。

人のふり見てると「あ」と思うことも、いざ自分のこととなると気づかないことって多々ある。だからこそ、気づいたときが肝心だ。「自分も気をつけないといけないな」と思ったことを記事として書き残したい。

自分の現在地を確かめるための、あるべき姿を確かめるための記事として。



人間時に自分にとって理不尽だと感じることってあるものだ。

「え?なんでなん?」
「自分あれだけ頑張ったのに」

自責思考、他責思考とよく耳にする。

自分に原因があると考えるのが「自責思考」で、
周りに原因があると考えるのが「他責思考」

”自分がコントロールできること”という視点で見ると、自分でコントロールできるのは自分のことだけなので「自責思考」の方が大切だ、というのは耳にタコができるくらい聞いたことのある話だ。

わかっている、わかっているんだけど、じゃあそれを行動にまで落とし込めるかどうかの差って実はあると思っていて。

第三者的視点から見ると、

「この人、他責思考だな」

と感じることってある。

それは別に他責思考であることを真っ向から否定しているわけではない。私だって周りのせいにしたくなることはある。そんな「弱い」自分が顔を覗かせることはある。

ただ自分を棚に上げるわけではないが、私は他責思考一辺倒にはならないように意識している。そのために常に考えているのが、


「じゃあ自分はどうだったのか」


ということ。

もしやれることはやったと思っていても、もっと出来ることはなかったのか、もっと違うやり方はなかったのか、その「もっと」の部分を考える。

そうやって過去を顧みることが大切だと思っていて。環境は自動的に変わったとしても自分という人間は自動的には変わらないと思っている。

自分を変えるには多少環境の影響があるかもしれないけど、大抵は自分次第。それに気づけないと同じことを繰り返すだけだ。




簡単に定義づけることはできないので、これはあくまで自分の解釈になるけれど、

経験則的に「他責思考」になりがちの人は過去の自分を顧みることが出来ない人で自分が起こしたミスもミスだと思っていないのかもしれない。

その瞬間は反省するけど時間が経つとまた忘れる。

だからまた同じ過ちを繰り返す。
でもそれを同じ過ちだと思っておらず、事の重大さに気づかない。まぁだから繰り返すんだろうけど。


癖って本当に意識して意識して意識して、さらに加えて意識することでようやく直っていくわけで。そのためには過去を顧みる姿勢も大切で。

過去の自分を顧みることが出来ないと、それ以上の成長はないと思っている。

”大切なのは過去ではなくて、今であり、未来だ。”ということもわかるんだけど、少なくとも過去の積み重ねで今があるという事実はぬぐえない。


こうやって偉そうに記事にしているけど、じゃあどれだけ自分が過去を顧みながら行動できているかというとわからない。

もちろん意識しているつもりだけどもしかしたら抜け落ちている部分があるかもしれない。そんなとき第三者からの「ちょっとその考え方はおかしいんじゃない?」という冷静な指摘が必要で。この記事が自分に対しての”冷静な指摘”になってくれることを願って書いてみた。


過去の自分を顧みる。

もちろん「自分」という人間の過去に自信を持つ。だけど過信はしない

いっぱいのダメな部分があって、いっぱいの至らない部分があって。そこから目を背けるのではなく、残りの人生を費やしてそこと向き合い改善しながら精進していきたい。


人の振り見て我が振り直せ。
過去の我が振り見て今の我が振り直せ。


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塩浦良太
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