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なりたかった大人になれてるかな。
今日は「成人の日」だ。
駅前には一昨日の土曜日から振袖を着た方が何人かいた。
昨今「成人年齢の引き下げ」が話題になって、18歳から成人になった。ただ成人式は現行のまま20歳になる代の人たちが参加する自治体が多いらしい。
個人的には20歳の時に成人式あったほういいなぁ派。
まずもって18歳の時にもしあったら受験とか就職活動で忙しい。それに高校3年生の時に成人の日を迎えるってなんかあまり特別感がない。
20歳、まあ私の地元はゴールデンウィークが成人式だったから21歳の代だけど、その時に集まるからこそ、またちょっと大人になったみんなに会える特別感がある。18-20の2歳差って、体というより心の面でも結構差がある気がする。
それにお酒も飲める人は飲めるし、時間にも多少余裕もあるし。
*
そんなことはさておき、振り返ると去年もこの時期に成人式に関する記事を書いていた。
上の記事では、成人してから3年経っていろんな「当たり前」が変わった、という旨が書かれている。4年経った今でもほんとにそう思う。というか、「まだ4年しか経ってないのか」という感覚が強い。それだけ密度濃い時間を送れているのだろう。
去年と同じ視点でもつまらないので、今年はもっと過去の自分から今の自分を見てみたい。
「成人」というと、そういえば小学校4年生の時に「2分の1成人式」をやった記憶がある。成人の半分、そう、10歳だ。
あの頃の自分にとっては小学6年生ですらすっごい大人で、高校生までいくともう大人すぎて想像がつかないくらいだった。言葉遣い、立ち居振る舞い、貫禄。自分の近くで見ている中学生、高校生、大人たちはすべて憧れの対象だった。
「自分が高校生になったらあんな大人っぽくなるのかな」
半信半疑だった。
人間生きていれば嫌でも年を重ねる。
気づけば20歳、もっと言えば24歳になったというわけ。
自分は今、あの頃憧れてた「大人」になれているのだろうか。
ふとそうやって思いにふけることがある。それってきっと自分が思っているより自分が大人になっている感じがしないから。ずっと子供の気持ちがあることはいいことだと思い込んでいるけど(笑)
でもちゃんと大人になっている。そう思っている自分もいる。
自分で考える力、自分で解決する力、誰かの助けを求める力、自分で決める力などなど。
かつて備えてなかった、もしくは足りなかった力たちが、まだ完成形ではないにせよ着実についていることが実感できる。
成長しなかったのは身長だけだ。
じゃあどうして大人になっていくにつれて上で挙げた力がついてきたんだろう、って考えたときに「自分の人生の責任を持つ」意識がついていったんだと思うんだ。
子供の頃って近くに親がいて地域の大人がいて先生がいてなどなど、近くに見ててくれる人がいた。間違ってたら正してくれる人がいた。と同時に、当時の自分はそれにちょっと依存していた。
誰かが決めた道の上を走る、そんなことも多々あった。自分の人生なのに、誰かの人生のような感覚を覚えることもあった。
だけど大学、社会人とどんどん大人になっていくにつれて近くで見ててくれる人は減っていき、間違ってたら正してくれる人も減っていき、自分で自分を管理する機会が増えてきた。
そのおかげもあって次第に、
「あ、今自分の人生を自分で決めてるんだな」
と当事者意識を持てるようになった。遅いよね(笑)
でもそうなってから自分は「大人」になれてると思う。
やっぱり自分で決めるって大変だ。
だってその責任は全部自分だから。
時に苦しいし、泣きたくなるし、ズルしたくなる時だってある。でもそれは全部自分に返ってくるから歯を食いしばって乗り越える。
でも自分で決めたことだからこそ、乗り越えた時の達成感がある。
そんなことに達成感を感じられるって「大人」と言ってもいいんじゃないでしょうか?(笑)
*
なりたかった大人になれてるか。
かつての自分にそう聞かれたとしたらきっと私はこう答える。
「まだ君が思うような大人にはなれていないかもしれない。でも大人になるために必死に頑張ってる。だから心配しないでも大丈夫だよ」
って。
この記事を見た10年後の自分はどんな風に思うだろうか。
それもまた楽しみだ。
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