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節分で感じる「当たり前」の違い

石川県にきてもうすぐ2年が経とうとしている。

生まれてからずっと、22年間新潟県にいて、就職を機に初めて新潟の外の世界に出てたどり着いたのが石川県。

就職活動をしているときは、「関東がいいな」「東海も面白そう」などいろいろ考えていた。石川県になったときは、

「また日本海側か、、」

と思ったけど(すごく失礼)、住めば都とはよく言ったもので今では石川県という場所がすごく大好きになった。

そろうものはそろっていていい感じに都会。
それでいていい意味で都会過ぎないのがまた居心地がいい。

新潟県と雰囲気が似ているのも個人的に住みやすい要因の1つかもしれない。食の美味しさ、多すぎない人込み、適度にある自然。

基本的に新潟と石川にギャップを感じることはない。

だけど、ただ1つだけギャップを感じることがあった。

*

2月3日。
今日は何の日だろうか。

そう、節分だ。

節分といえば何をするだろうか。

恵方巻を食べる。今ではすっかりそれがトレンドになっている。
ちなみに今年の方角は「南南東」(細かく言うと南南東微南)らしい。

そんな話はどうでもよくて、子供のころ盛り上がったものといえば「豆まき」だ。保育園のころ、園内に出てきた鬼がリアルすぎてみんなが泣き叫んでいた記憶がある。

少し話をもったいぶりすぎた。

新潟と石川でギャップを感じたのはこの「豆まき」だ。
皆さんの地域は豆まきで何を投げるだろうか。

新潟では「落花生」を投げる。殻がついたままだ。
どうやら石川県ではそれが通じないらしい。
話を聞くと石川県では「大豆」を投げるとのこと。

ウェザーニュースタッチより

22年、「豆まき=落花生」で育ってきた私にとってこの事実は衝撃だった。なんなら世間的には大豆のほうが「当たり前」みたい。

*

今回の記事で言いたいのは「豆まきの豆違うんだ!!」ということだけじゃない。

落花生が当たり前だと思っていた豆まきが、実はそんなことなくて、なんなら大豆のほうが当たり前で。それってつまり、

自分の思っている「当たり前」って、思っているより「当たり前」じゃない

ということだ。

人は自分の目に見える範囲で物事を判断しがちだ。それはしょうがない部分でもある。だって意識できるのは目に見えるものだけだから。

でもだからといって「これが当たり前だ!」と大口をたたくと痛い目を見るよ、というわけだ。自分が見ている景色は世の中にある景色のほんの一握りにすぎないということに気づかないといけない

ここから得る教訓として2つ。

・自分にはまだまだ知らない世界が世の中には広がっているということ
・「当たり前」は性格、環境、価値観の数だけ存在しているということ

自分にとって「当たり前」があるのと同じように、ほかの誰かにも「当たり前」があって。だからこそ自分の「当たり前」を押し付けることほど迷惑なことはない。

お互いの「当たり前」を知って、「そんな世界・考え方もあるんだ!」と自分の知識を増やすくらいの度量と余裕は持ち合わせていたいなと思った。


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塩浦良太
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