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些細な一言、天国と地獄
皆さんは1日にどれくらいの量しゃべっているだろうか。
皆さんはいったいどれだけ「自分の言葉」が周りに影響を及ぼしていると思っているだろうか。
いきなり変な質問になってしまった。
そして重い話になってしまった。
確かに自分の言葉に気を付けるときってあると思う。
先輩や上司だったり、大事な発表の場だったり、面接だったり、真剣な相談を受けている時だったり。それこそこういったSNS等での発信だったり。
敬語や言葉選びに細心の注意を払うものだ。
失礼にあたるかもしれないから。傷つけるかもしれないから。
逆に何でもない日常会話の時って気が緩むこともあると思う。
でもそれってすごく当然のこと。
だっていついかなる時も言葉の1つ1つに気を付けるなんて息苦しくてありゃしない。
まるでそれはYouTubeerの方が動画でやる「英語禁止ゲーム」のように、常に何かに気を付けながら言葉を発するなんて話すことも嫌になる。
だけど実は発する側が深い意図もなく話した些細な一言によって、受け取った相手の人生を変えることだってあるということも忘れちゃいけない。
それはもちろん、
良くも悪くも。
ここでちょっと自分の話をしたい。
私はこの「些細な一言」で天国も地獄も、どちらも見た経験がある。
まずは天国から。
今まで記事に書いたこともあるが、大学の時、自分の家族のこと、進路のことを始めて1人の先輩に打ち明けた。
その先輩はすべてを聞いた上で、スパッと
「もっと自分のために生きてもいいじゃん」
と言った。
きっとそこに深い意味はそこまでなく、純粋に思ったことを言ってくれたんだと思う。そして実際私自身も思っていることだった。思っていたけど蓋をしていた部分でもあった。
そんな蓋を先輩の言葉によって開けてもらった。些細な一言で、180度人生が変わったといっても過言ではない。
もう1つ良い意味で影響を受けた言葉。
それはある大学の講義。
インタビューをグループごとに行って、その内容をレポート形式でまとめることがあった。
各々役割分担をして、「最後まとめの部分どうする?」という話になった。
誰もやりたがらなそうだったので、私が手を挙げた。別に書くことは嫌いじゃないし。でもまだこのころ、noteには出会っていない。
せっかくなら惹きつける文章にしたいな、
そう思って言葉選びや文章表現をこだわっている自分がいた。
例えば体言止めで余韻を残すとか。大学の講義なのに(笑)
そうやってまとめた文章を見てグループのあるメンバーが一言。
「塩浦くん、書く才能あるんじゃない?(笑)仕事にすれば?」
別に関係値が深いわけでもなく、そのグループワークで「初めまして」した同期の子に言われた言葉。
半分本気で半分バカにしている感じの言い方でもあったが、その言葉にハッとした。
「おれ、文章つくるの好きかも。ちょっと表現面白いのかも。」
そんな”ちょっと素敵な勘違い”によって自分は文章に目覚めた。そこから2年経ってnoteに出会い、今の今まで書き続けているから人生何があるかわからない。
地獄の話もしよう。
小中学生のころの自分は何か周りのみんなからの期待に応えることに喜びを感じていた。それが自分の存在価値の1つだと思っていたといっても過言ではない。
そんなある日、誰かから言われた言葉は今でも忘れない。
「とりあえず塩浦に任せておけばいいよ」
誰が言ったのかは覚えてない。”誰”にそこまでこだわりはないから。でも言葉だけがずっと残っている。
聞こえによっては「信頼されてるじゃん!」という受け取り方もできるかもしれない。だけど当時の自分はどこか突き放されてる感じもしていた。
別にそれを表情だったり態度だったりに出したわけではない。当時の自分にそんな反抗力はなかったから。ただただ与えられた役割を全うする。だけどどこか力が抜けてしまっている自分がいたのも事実だ。
もう1つ、
これは家族以外の自分の身の回りの人から言われた言葉。
大学受験に向けて必死に勉強していた私。家の都合上、地元の国立大学という選択肢がない中で、なんとかしがみついた。
しかしそれでもうちは家計的に厳しく、入学金もすぐには払えない状況だった。大学を目指したくても目指せない環境にいる人もいる中で、受験勉強できていることは恵まれている、ということはわかってる。でも当時の自分にとって高校自体9割以上が大学進学する学校だったし、そもそも大学進学以外の選択肢がなかった。
そんな状況で遠くの親戚から言われた言葉。
「大学行く資格なんてないよ」
それを直接目の前で言われた。
「合格」に向けて必死に勉強を頑張ってきて、合格という切符をつかんだにもかかわらず、目の前で道が閉ざされた瞬間だった。
お金。
自分にはどうしようもできないと当時思っていたところで、自分の道が途切れていくのか。そんな無力さを感じたのを覚えている。
最終的に奨学金であったり、やさしい人の温かさのおかげで無事入学することができ、卒業、そして今に至っている。今度は自分が恩を返していく番だ。だけど当時の無力さは表現のしようがないものだった。
*
我々は日々多くの言葉を発しているが一言一句何を言ったかは覚えていない。そしてそれは当然だ。
言葉の隅から隅まで気を配っていたらぎこちない会話だらけになってしまう。だからそんなことをする必要はないと思っていて。
だけど、意識はすることができると思う。
今の自分の言葉が、目の前の「あなた」に影響を与えているかもしれないということを。自分は何の気なしに言った言葉で天国を見ることもあれば、地獄を見ることもあるということを。
頭の片隅にでもそのことを置いておくだけで、些細な言葉選びはできるようになる気がする。
そういう人が増えればもっともっと優しい世界になるんじゃないかな、そう思ってる。
発した側にとっては何でもない一言でも、受け取る側にとってそれが「救われる一言」になることがある。その一方で「絶望の一言」になることだってある。だからといって常に緊張感をもって、、というわけではないが、ちょっとした言葉選びにも意識は向けていきたいところ。
— 塩浦良太|言葉を紡ぐ支援員 (@ryota_s006) January 22, 2023
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