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幸せの要素って1つじゃない
「幸せ」の定義って難しい。
言語化が難しいけど、よく使われる単語ランキングがあったらベスト5には入ってきそう。
自分の中でもその定義は模索中で。
一周回って、「言葉に出来ないのも魅力の1つなんじゃないか」とすら思っている。
だけど小さいころからこの考えだったかというとそうではない。
むしろこういう考えになったのは最近。
考えが変わったきっかけっていくつかあるけど、そのうちの1つが大学生の頃。誰もが知っている高級焼き肉店に行ったときのことだ。
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それまでの自分って育った環境だったり見てきた光景だったりから、「値段が高ければ高いほど幸せ」の感覚があった。テレビの向こうの世界が輝いて見えて、それに対して自分の状況はというとまったくかけ離れた状況で。
学校にいくと友達が「こんなもの食べに行ったんだ!」とか「こんなとこ遊びに行ったよ!」と幸せそうに話しているのを聞くと、
「幸せってお金なのかな?」
と思ってた気がする。多少の思い込みはあるけど、子供ながらの純粋な気持ちだ。でもだからといって自分の状況を嘆くこともなかった。今ある中での最大限の幸せを追求する。これは意識的に子供のころからやっていた。
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そんな、「幸せ=お金」なんじゃないかという仮説を持ちながら、自分は自分なりの幸せを追求するんだ、という生活を送っていた中で話は大学生に戻る。
上記したように、大学生の時、バイト先の店長に「卒業祝い」として誰もが知る超高級焼き肉店に連れて行ってもらったことがある。
まずそのお店はビルの最上階にあって。店内の内装からなんか煌びやかで。コーラがコップ1杯で600円くらいする。肝心のお肉も数千~数万のものが並ぶ。流石だ。自分1人じゃこれない。
いくつかピックアップして、お肉を食べた。
・・・・確かに美味しい。すごく美味しい。そして幸せだった。
けどそれ以上でもそれ以下でもなかった。
大学の友達といった数千円の食べ放題も同じくらい幸せだったな、なんて思ったり。
社会人になって幸せと感じる瞬間により目を向けるようになった。
ちょっといい旅館に行って泊まったり、ちょっと美味しいものを食べたり。そういった時は「幸せだな」って思う。
その一方で、お風呂に入浴剤を入れて入った時だったり休日に朝二度寝したり、小中学生の友達と缶ビール片手に語り合ったり。そういう瞬間の方がもっともっと幸せを感じている自分に気づいた。
ここでようやくわかった。
「幸せ=お金」じゃないな、と。
言い方を変えよう。
「幸せはお金だけで決まるものじゃない」だな。
確かに値段がたかれば高いほど、サービスだったり質だったりはよくなる。そしてそれが幸せにつながっている。だからお金が幸せを構成しているものの1つであることに変わりはない。
でもそれって一角にすぎず。
それこそ「コーンフレークは5つの要素でできてます」みたいな感じでパッケージに五角形が書いてることがある。幸せの要素も同じ感じで。
「お金」という頂点がある隣には、「誰と過ごすか」だったり、「憧れ」だったり、「夢・目標」だったりそれ以外のいくつかの要素が組み合わさって、その合計点で「幸せ」が構成されているんだろうなと思った。
1人で超高級なお酒を飲む時、「お金」という要素ではめちゃくちゃ幸せだけど、「誰と過ごすか」をはじめとする他の要素では全然幸せではない。
一方で親友と3時間3000円飲み放題の居酒屋行って飲む時、「お金」という要素では普通くらいの幸せだけど、「誰と過ごすか」みたいな部分ではめちゃくちゃ幸せで。
総合点を見た時に後者の方が幸せに感じることがある。
分析をするとかじゃなくて、
シンプルに自分が幸せに感じている瞬間に、もっともっと目を向けていきたいなって。どんな時、自分が幸せに感じているのか。
それがわかれば、もっと自分のことを意図的に幸せにできる気がする。
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