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「ピンチはチャンス」とよく言うけれど。

「ピンチはチャンス」


耳にタコができるくらいに聞いた言葉だ。
高校時代の野球部の練習着の背中にも「ピンチはチャンス」と書かれてた。

「ピンチはチャンス」についてちょっと考えていきたい。

*

言葉は便利だ。
一言聞いただけで力がみなぎってくることがある。
一言聞いただけで救われる気持ちになることがある。

その一方で言葉には危うさもある。
一言聞いただけで満足してしまうことがある。
一言聞いただけで間違った方向性に進むこともある。

結局言葉というのは発信者の口から発せられた時点で最後は受け取り側の解釈に委ねられるのだ。そういった意味では多少無責任な部分もあるのかもしれない。だけどそれは解釈次第でいかようにもできる無限の可能性でもある。

少し話が飛躍しすぎた。

こういった前置きをしたのは理由がある。
中には言葉を都合よく解釈してしまう人がいるから、ケースがあるから。

言葉の一部分を切り取って解釈して、責任を押し付けてうまくいかなかったときに、

「だって〇〇って言ったんじゃん」
「結局言葉だけで嘘じゃん」

みたいな。まるで受け取り側の責任はないかのように。そういう人は論外だと思っている。ちょっとキツイ言い方にはなるが、そういう人ほど屁理屈や言い訳ばかりする。ここまできつく言うのは自分はそうなりたくないから。自分へのプレッシャーもかねて。

*

「ピンチはチャンス」もそうだ。

切り取り方によっては「ピンチになれば必然的にチャンスがやってくる」みたいに捉えられておかしくない。
でもそんなことはない。ピンチはピンチだ。

じゃあなんで「ピンチはチャンス」という言葉が巷で使われているのか。

それは、

「ピンチになれば何とかしようと考えに考えて行動するから」

すごく当たり前のことを、大ごとのように言ってみた。

やっぱりピンチっていやな状況だ。追い込まれている状況だ。できることならばピンチの時間は短くしたい。だからどうすれば打開できるか考えると思う。ただ考えただけでも状況は改善しない。考えた案を行動にうつさないといけない。

ピンチの場合って、通常時やチャンスの場合に比べてこの「思考→行動」のサイクルがめちゃくちゃ速いと思っている。「火事場の馬鹿力」というくらいだから。

通常時やチャンスの相手が少し気を緩めている間に、ピンチの人間が「思考→行動」を高速で回すことで形勢逆転する。だから「ピンチはチャンス」って言われるんだと私は思う。

*

言葉はきっかけになる。
でも言葉だけじゃすべては変わらない。

それでうまくいかなくて言い訳するなんてダサいことはしたくない。

結局最後は自分で考えて考えて行動にうつしていくことでしか状況は変えられない。思考→行動の回数を増やしていくしかない。

「ピンチはチャンス」という言葉は、そのことを証明してくれている気がする。




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塩浦良太
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