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いろんな「フィルター」に触れていきたい

朝起きて通勤するとき、太陽が出てるとそれだけでちょっとうれしくなる。
スマホで写真を撮りたくなる。

なんてことない1日で、なんてこない朝日なんだけど、今日だけな感じがするから。

昨日も写真を撮った。すごくいい朝日だったから。

最近のスマホってカメラも高機能で。
すっごい鮮明。綺麗。エネルギーが画像からも伝わってくる。

いつもは写真を撮って終わっているんだけど、昨日はちょっと違った。

「試しに画像加工アプリを使ってみよう!」

特に理由はない。思い付き。自分って結構思い付きで行動する。実際に加工してみた写真がこれ。

巷でよく言われる「エモい」感じの写真になった。

この写真を見て「エモいな~」という感想で終わってはもったいない。そもそも「エモい」ってなんなん?って感じだ。

加工前の写真が、

鮮明で、綺麗で、エネルギーが伝わってくる

ものだとするならば、加工後の写真は、

ぼやけてて、やわらかくて、優しく包み込んでくれる

感じがする。

言葉が抽象的で申し訳ないのだが、少なくとも前者と後者で伝わり方が全く違うということは自信を持って言える。全く同じ写真なのに。

何も私はこの記事で、「エモい写真っていいよね」ということを伝えたいわけじゃない。エモい写真がいいことに違いはないが。

一番伝えたいというか、この2つの写真を見て思ったのは、

”同じ景色でもフィルターによって見え方、伝わり方は全く違う”

ということ。

これって人間の”目”にも同じことが言えると思っていて。

1人1人の目から見える景色って千差万別だと思っている。
目で見て、見えたものを脳で認識する。
そしてそれはその人の知識や経験、環境によって多少見え方は変わってくる。

一番難しいのは、

「自分が見ている景色は、自分にしかわからない」

ということ。

それぞれの人の目にかかったフィルターから見える景色は、持っているその人にしかわからなくて、取り換えができるわけでもない。

だからここで覚えておきたいことは、「常に自分と相手の間に見えているものの認識のズレがあるかもしれない」という前提に立つこと。

そしてそれは決して恐れるものではなく、むしろ面白がるということ。

そうやっていろんな人のフィルターを知ることで、いろんな人の見え方を理解することで、それだけでいろんな人の立場になって物事を見て考えることができるようになるのではないかって。


よく「相手の立場になって考えられる」って言うけれど、これって口にするほど簡単なことではない気がする。

だって自分以外の人のことは基本的にわからないのだから。
なんなら自分のことでもまだまだ分からないことが多いのだから。

だから、わからないという前提に立ち、”違い”を面白がり、自分の中の「フィルター」を増やす。そうすることが「相手の立場になって考えられる」一歩なんじゃないのかなって思う。



いろんな「フィルター」に触れていく。
そんなフィルター探しの旅をやっていきたい。


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塩浦良太
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