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「あなたのために」の本質は「自分のため」だった
「これはあなたのためを思って言っているの」
何度聞いた言葉だろう。
「○○した方がいい」「○○しなさい」に続いて、「これはあなたのために言っているの」が決まり文句のように続く。
最近だと大学2,3年生くらいに親から聞いた。
そもそも大学に入った時点で、
「教員免許を取った方がいいぞ」
とは言われていた。最初、従うことが正義だと思っていた私は教職に必要な講義をとっていた。しかし段々と「特に、自分は教員になりたいわけではない」という思いと「資格をとるためだけに時間を費やすことへの違和感」を覚え始めた。
だから覚悟を持ってやめた。初めて自分の考えを貫いた瞬間だった。
次に、
「公務員にはなったほうがいい。将来年金とか考えても安心だ」
と言われた。決まり文句を添えて。
ただ講座をとるお金もなく、独学で半年ほど勉強をしていた。
しかしまた違和感がきた。なんで自分はひたすら勉強しているのだろう。
特に公務員になってやりたいことがあったわけではなかった。
無論、そもそも他にもやりたいことがあったわけではないのだが。
しかし、このままもし公務員になったとして定年退職までレールの敷かれたある種「先の見える人生」を進むことに自分の中ではワクワクがなかった。
そこに就職してしまえば、その場を楽しむ方に持っていく力はあると思うので大丈夫だが、就職する前に気づいてしまったのだからしょうがない。自分の違和感に従った。ある意味、「親の期待」を裏切ったかたちになるのだが、あとはこれから自分の選んだ道を正解にするために頑張るだけだ。
こっちの方がワクワクする。
本題に入る。
これまで私は就活をするまで、強い意志というものがなく、親の言う「あなたのため」に従って縛られて生きてきた。しかし難しいもので、実際に縛られているときというのは自分が縛られていることに気づかないものだ。
だからちょっとの違和感に敏感である必要がある。
ここで話が多少変わるのだが私は幡野さんが書く文章が好きだ。
幡野さんが紡ぐありのままの言葉はとても考えさせられるし、読んでいて笑ってしまうユーモアさもあり、とても文章の世界に引き込まれる。
そんな幡野さんが11月に出した本『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』を手に取って読んだ。その作品で印象的な文があった。
「ぼくの周りにも「あなたのために」ということをいってきた人が100人以上いたとおもいます。でもそういう人たちって本当はみんな「自分のために」なんですよ。本当にぼくのためをおもってくれている人ってぼくのやりたいことを応援してくれる人なんです。これは似ているようで全然違うんです。(p15)
納得しかしなかった。正解を押し付けられていることに違和感を覚えたんだ、そして自分が頼りたくなるのは応援してくれる人だ、そう思った。
そして自分の決断も間違いではなかった、そう思えた。
そして油断していると自分自身も誰かにやりかねない、そういった繊細な問題でもあると思った。
本当の優しさ、っていうのは正解を教えてあげることではなくて、
相手のやりたいことを一生懸命応援してあげることだと感じた。
自分自身、そうありたい。
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