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どうせなら「どうせ」をポジティブに使いたい。

「どうせ」


この3文字を聞いただけでなんだかマイナスな言葉が後からついてきそうな気がしてしまう。

言葉の意味を調べると、

どうせ:どんなにしたところで、いずれにしても、どっちみち。

ほら、なんだか「どうせ」という副詞の後にはマイナスな言葉がついてきそう。

「どうせ」で有名なものと言えば、

TEDというプレゼンの場における植松さんのスピーチが有名だ。私も好きな動画の一つ。「どーせ無理をなくしたい」、そういった思いが込められた熱いスピーチなので、ぜひ見てもらいたい。

このスピーチの話は置いといて。

どうせ=ネガティブな情報、というのが潜在的に染みついてしまっている。

そんな中、最近ある方がこう言っていた。

「どうせなら「どうせ」をポジティブな意味で使っていきたいですよね」

同じ言葉が並んで言葉遊びのようだが、めちゃくちゃ心に刺さる。

私が常々思っていて、記事にも登場することとして、「人生は解釈ゲーム」という考え方がある。

目の前に現れた事実に対し、自分がどのように解釈するか。解釈の仕方によって、選ぶ言葉が変わっていき、選ぶ言葉が変わることで選ぶ行動が変わってくる。

一連の流れとして、

事実➡解釈➡言葉➡行動

な気がする。

言葉と行動の順序が入れ替わることもたまにはあるかもしれないが、基本的にはこの順番かな、って。それくらい解釈が脳に与える影響は大きいし、言葉が行動に与える影響は大きいと思っている。


基本的に事実って変えられない。

もちろん最高の事実を引き出すために日々の行動を意識するのだが、一度起こった事実、そして現実は不変だ。

不変なのに、いや、不変だとわかっているからこそ、私たちは「どうせ」のあとについついマイナスな言葉をつけてしまうのかもしれない。

「どうせ無理だよ」
「どうせこういう結果でしょ」
「どうせ変わらないよ」

確かに事実はそうかもしれない。

でもそうやって解釈しているのは自分自身。その解釈によって、行動も「どうせダメなんだろうな」という後ろ向きなものになっていく気がする。

事実は変わらないんだったら、せめて解釈は前向きでいたい。

「どうせ状況が変わらないなら、その中で楽しみたい」
「どっちみち同じ結果になるなら、新しい可能性を見出したい」

綺麗ごとと言われるかもしれない。

でも自分の解釈が与える影響は自分に返ってくる。責任をとれるのは自分だけだ。それこそ、「どうせ」ならポジティブな言葉を使った方が絶対いい。そうすれば自然と行動も前を向く。


「どうせ」はマイナスな言葉を導く言葉じゃない。

せめて、”開き直り”を導く言葉、なんなら”ポジティブ”を導く言葉、それが「当たり前」になるように意識していきたい。


どうせなら明るく楽しく、前向きに生きていきたいから。

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塩浦良太
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