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スルメのような文章を。
いきなりだが皆さんは「スルメ」を食べるだろうか。
絶賛スルメを近くに置きながらこの記事を書いている。
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小さい頃、じいちゃんばあちゃんに育てられた私は、いつも近くにスルメがあった。
「体にいいから食べなさい」
「いっぱい噛むとあご強くなるよ」
気づいたらスルメが好きになっていた。噛めば噛むほど味が出るあの感じ。
、、、とスルメの話はここまでにしておいて。
私が今回の記事で言いたいのは、
「かつて書いた文章たちってスルメのようだなぁ」
ってことだ。
「ん?どういうこと?と思った人もいるだろう。少しずつ解説していこう。
私の「メモ」の起源は中学時代にまでさかのぼる。中学では野球部に所属しており、「野球ノート」を書いていた。
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そこから高校も野球ノート、大学からは日常のメモノート、そして大学3年生の3月からは「note」と、日々何かしら文章を残してきた。
先日久しぶりに中学の頃の野球ノートを開いた。そこには、
「スタートが早い方が結果はついてくる」
「他の人の意見を聞いて考える幅が広がった」
「相手のいいところは真似する」
「凡事徹底」
などと中学生にしては大人な、でもすごく大事なことが書かれていた。
過去の自分が今の自分に大切なことを教えてくれる、そういった観点でいうと読み返せば読み返すほど昔の自分の文章から深い味わいを感じられるから、それはまるで「スルメ」のようだ。
これは、時間がたってから何度も読み返すという意味での「スルメ」的要素。
もう1つ、そもそもの文章の構造も「スルメ」的要素を含んでいると思っている。自分が解説するのも恥ずかしいが解説していきたい。
私の文章を読んでくれた人の中には、
「好きか嫌いかはわからないんだけど、気づいたら読んでしまっている」
という言葉をいただいたことがある。そして、
「気づいたら別の記事、また別の記事と読んでしまっている」
と言っていただいたこともある。なるほどな、と思った。
確かに自分の記事って「自分」を中心に考えているから、体言止めをやたら使ったり自分が普段使う言葉を使ったり、ちょっと遠回しな例えを使ったりと一度読んで内容をつかむには難しい文章かもしれない。
だけど飽きさせない、「どういうことだろう?」と思わせるつくりにはなってるんじゃないだろうか?(自画自賛)
何度も読んでいくうちに、「あー、こういうことか」とわかってきたり、別の記事を読んでいくうちに「あー、つまり全体的に塩浦はこういうこと言いたいんだな」という一貫性は伝わると思う。
ほんとは即効性のある味というか、食べてすぐ「おいしい!」となるような記事が望ましいんだろうし、そこを目指しているんだけど、個人評としては今の私の記事は「スルメ」だ。
読んですぐ「あー」「学びになるな」とはならないかもしれない。
だけど考える、自分を鍛えるきっかけにはなるんじゃないかって。
そう、スルメを嚙むことで、顎が鍛えられるのと同じように。
噛めば噛むほど、読めば読むほど味が出る。
なんなら最初から味が出てる。
そんな、より”洗練された”「スルメ」のような文章を書いていきたい。
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