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いい言葉とは。

「いい言葉ってなんだろう」
「いい発信ってなんだろう」


noteだったり、Twitterだったりで投稿をしていると時々こういった壁にぶち当たる。いや、発信の時ばかりじゃない。誰か大事な人に声を掛けるとき、

「どんなふうに言葉を投げかければ伝わるのかな」

て考えることがある。

どうも見た目のカッコよさばかりを意識して、巧みな比喩表現だとか上手い言い回しだとか、食いつきのいい具体例だとか考えてみるんだけど、考えれば考えるほどそれは自分の首を絞めていく。

考えれば考えるほど頭打ちになって、結果何も言えなかったり、上手く言おう上手く言おうとしすぎて、結果的に何を言っているのか伝わらなかったり。

ちょっとよく考えてみたい。
言葉ってなんのためにあるのか。

それは、感情が、現象が、意味が、目で見ただけではわかりづらい部分があるからそれを言葉で補っているのではないだろうか。

それはつまり、相手に適切に意味が伝わるから初めて言葉としての役割が伝わるわけで、それによって相手の心が動き、行動にも影響が出るから「言葉の力って偉大だな」となるわけで。

見栄えばかりを意識して、結果何も伝わらない言葉は宝の持ち腐れだ。


「いい言葉」とは、その言葉によって何かが動いたり、変わったりする言葉。どれだけ綺麗に着飾ったものでも、それが誰にも届かず、何も動かさなければ意味がない。

また難しいのが、全員にとって響く言葉ってなかなかないということ。

誰かにはめちゃくちゃ刺さっても、誰かには全然響かないこともある。

だから言語化する力というのが必要で。言語化の意味というのも上手い表現を増やす、というものではなくて、ある1つのことをあらゆる切り口から説明できるようになることが大事だと思っていて。いろんなタイプの人に届くレパートリーを増やすことが大事だと思っていて。

だから考えに考え抜いた一発ドカン!!も大事だけど、考えたものをいくつか立て続けにドドドドン!と連発して反応を確かめるのも大事なのかも。

だって考えても考えてもそれは所詮自分の中の感覚に過ぎないから。

ある尊敬する人が書いているエッセイにこんなことが書いてあった。

「悩んだって変わらない」

悩むのが悪いとは思わない。
むしろ何も考えず、悩まず発した言葉で人を傷つけるのはもってのほかだ。

だけど悩みすぎるのもよくない。
自分で自分のハードルを上げてしまっている。


そういった意味で、まだまだ自分は甘い。

見栄えを良くしようと、上手い表現で記事を書こうとすることがある。それが時に相手と見えない距離を生んでいるということも知らずに。

もっとフランクに、もっと楽に。
気づいたら相手の懐に入っている感じに。

なんだかんだそういった、わかりやすい、真っすぐなものが、相手に届きやすくて、感情を動かしやすくて、「いい言葉」なのかもしれない。





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塩浦良太
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