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「今ここ」に向き合うのは忘れずに
今日は華金。
仕事終わりに金沢にある「赤玉本店」というところへ金澤おでんを食べに行った。石川県はもうすぐ3年目になるんだけど、ちゃんと金澤おでんを食べるのは初めてな気がする。
しかも今日は仕事終わりにそのまま職場、もっというと事業所のメンバーでそのまま赤玉本店へ。こういう機会、たまにだからすごくいいよね。もちろん普段仕事の中でも何でも言い合えるような環境だけど、それ以上にもっと何でも言い合えるような空間だったな。
肝心のおでんはというと、金澤おでんの特徴でもある「優しい出汁の味」を存分に味わった。結構好きな味。せめてものお裾分けということで、タイトルに画像をシェア。
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今日書きたかったことはそんなことじゃなくて。
最近ふと思うこととして「自分を追い込む」のと「強がっている」のって、何がどう違っていてどこに線引きラインがあってどっちがいいんだろうってことが頭に残る。
正直今って結構自分のキャパシティー的にギリギリで、でも何とかやり切れると思っている節がある。やり切れると思っているから受け入れているのだが、じゃあこれは自分を追い込んでいるのか、はたまた強がりなのか。
どうでもいいこと考えてるなーと思うけど、考えたらたくさん考えちゃうもの。
個人的な見解としては、
自分を追い込む=自分の状態を把握した上で、「このラインならまだいけるな」という判断に基づいて行動を選択していくこと
一方で、
強がる=ある程度自分の中では「ちょっと厳しいかもな、、」と思いながらも、そんな自分を認めたくなかったら「もしかしたらいけるかも」という想いから行動を選択、発言していくこと
だと思っている。だから「自分を追い込む」時は意図的に自分にプレッシャーをかけている状態だからある程度自分と向き合うことが出来ていると思っていて。
だけど自分を追い込んでもそのプレッシャーにやっぱり負けてしまうことはあるし、反対に強がったことがうまくいくことだってある。だから難しい。どっちがいい、とは一概に言えないから。
何はともあれ、大切にしたいのはしっかりと自分の「今ここ」に向き合うことだなぁと思ってる。主観の自分を持ちながら、客観の自分も持つ。地に足つけて、
「本当に行けるのか?」「本当にやりたいの?」
を自分自身と相談する。そのうえで行動選択をとっていく。
その結果、自分を追い込んでもいいし、強がってみてもいいし、ちょっとここはストップで、ということがあってもいい。
何よりも一番は「自分を守る」ということは大切にしたいなと。
元気な体と心があってこそだから。
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