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朝の散歩

休日って何かとダラダラしてしまうことが多い。

遅い時間まで寝ていたり、起きても布団の中でスマホを見て気づいたら時間が経っていたり。YouTube見たり、Twitter見たり、Netflix見たり。

これらって良くも悪くも「休みだからできること」
いつの間にかお昼になって夕方になってまた平日が目の前まできている。
「あー、もう休日終わっちゃったか」って。「もっと有意義な時間の使い方あったな」って、後で思ったりもする。

それが別に悪いってわけじゃないけれど、もうちょっと違うアプローチで「休みだからできること」をやりたいよね、って思う自分もいる。

思い立ったが吉日、ということで今日はちょっと早く起きた。
朝7時くらい。休みの日にしては早い方だ。

いつもならそこでスマホを開くところを今日は靴下を履いた。朝がちょっと肌寒い季節になってきたから一枚上着を羽織った。そして靴を履いて外へ出た。

社会人になってからすぐは朝ランニングをしていた。
いつからだろう。やらなくなったのは。
あの時より体に疲労がたまったり、寝ている時間が少しでも長い方がいいと思ったり、そもそも出勤時間が早くなったり。気づけば朝のランニングから遠ざかっていた。

そんな中で朝の散歩。


朝の散歩ってやっぱりいい。

まず道路を走る車が少ない。
だからいろんな情報が飛び込んでくる。

青空、鳥の鳴き声、朝の冷たい空気、川の流れる音。
普段雑多にまぎれる中で、意識しないと飛び込んでこない情報たちが、無意識でいても飛び込んでくる。それに「自然」を感じる。

時間が経つにつれて、体に触れていた日差しも徐々に暖かくなる。
少し陳腐な表現になってしまうが、「生きてるな」ということを実感する。

普段目の前の「情報」に揺さぶられて意識することのなかったものたちが呼び起こされるこの感じ。朝の散歩は「感性」を刺激する。

散歩から戻ってきて、朝ごはん食べて、コーヒー飲んで、noteを書く。

なにこれめっちゃオシャレやん。
しかも心めっちゃ落ち着くやん。
それでいてまだ午前中とか最高やん。

こうやって毎日のようにnoteを書いて、言語化言語化言語化、、、と取りつかれたかのように文字にしているけど、朝の散歩はたった一言、「最高」だった。

これは個人の感想なんだけど、普段言葉を大事にしている人からたまに飛び込んでくる短いフレーズでだからこそものすごい説得力がある気がしていて。

それと同じように、普段言葉を大事にしようと、言語化を大事にしようとしている自分に対してふと下りてくる「最高」としか表現できないこの感覚も、めちゃくちゃ大事なことを気づかせてくれているのかもしれない。

なんかこの感覚はずっと忘れたくないな、って思った。

そんな想いを抱きながらnoteを書いている日曜日の午前中だ。


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塩浦良太
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