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必要とするから”差し伸べられた手”に気付く
「どんなに上手くいかないことがあって、落ち込んでいても差し伸べられている手がある。その差し伸べられている手に、気付ける人でありたい」
テレビで聴こえてきて以来、ずっと大切にしている言葉だ。
人は上手くいかないこととか、調子が悪くなると下を向いてしまったり前しか見えなかったりする。
その結果、「自分は1人なんだ」と錯覚する。
でも実際は周りで手を差し伸べてくれている人がいて、自分がそれに気付いていないだけで。だからどんなに自分が1人だと思っていても、自分から心を閉ざすのではなく、差し伸べられている手に気付こうとするだけの行動は持ち合わせていたいな、というわけ。
そういった意味合いで好きになった言葉だ。
今回書きたいことは、それと似ているけどちょっと違う。
中には「出来ていない」とか「苦手なこと」を”それ”として自覚できていないパターンがある。
なんか上手くいかないな…でも頑張るしかないな、とか。
出来ないことはないんだからもっと頑張らなきゃ、とか。
考え方自体は間違っていないのかもしれない。
でも得意か苦手かで言ったら苦手なものってある。
ただ「やる」と言った以上、後に引けなくなることも。
助けてくれる人なんていないんじゃないか、って。
でも実際はそんなことなくて。
それこそ自分で「助けてくれないんじゃないか」とフィルターを掛けているだけで。
自分の弱さに気付き、受入れ、助けを求めようとすると、初めて差し伸べられている手がたくさんあることに気付く。ここに関しては冒頭の話と同様だ。
弱さに気付かずぐんぐん進んでいると、周りはそれを見て、
「1人でなんとかやっているみたいだし、私の出番じゃないか」
ってなる。いわば1つの配慮だ。準備はいつだってしている。あとはその助けを受け入れる準備が相手に整っているかどうか。
苦手なことを全部誰かにお願いすればいいか、というと必ずしもそういうわけではない。苦手でもやらなきゃいけないこともある。
でも全部1人でやろうとする必要はない。
得意な人を頼ればいい。今度は自分が得意のことでお返しすればいい。
1人で強くなろうとしないで、仲間を頼って強くなっていく。
そのためには弱さも受け入れる。助けを必要とする。
そうやって差し伸べられている手に気付いていく。
そんなことを大切にしていきたい。
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