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考え出したらキリがないけど、考えないのは違う
先日「考えることを諦めちゃいけない」という記事を書いた。
タイトルだけ見ると全く同じような内容に感じるけど、ちょっと違うようなことを今日は書きたいと思う。
簡単に上記の記事を振り返っておくと、
今の時代、すぐに答えが出る時代になったからこそ自分で考える機会が減ったな、ということに注目した。それはもちろん良さもあるけど、その一方で善悪の判断がつきづらくなった要因にもなっていると思っていて。
ちょっとでも苦しい場面になると、考えることを放り投げてしまう人も増えたんじゃないかなって。でもそれじゃもったいないよね、もっと自分の人生に責任を持った方がいいよね、その方が楽しいよね、という想いで書いた記事だった。
話は本題に戻って。
あなたは、
「あぁ。あの時、ああしておけば・・・」
って過去に対して思ったことはあるだろうか。ちなみに私はある。たくさんある。結構繊細な人間なので、今でもたまに高校の野球部だった時、最後の夏の大会、最後の打席の映像が頭に浮かぶ時がある。
思っても過去は戻ってこないのに。
やり直せるわけではないのに。
そもそもやり直すことも望んでないのに。
そう、「あの時ああしておけば」と思っても、考えだしたらキリがないのだ。それらは全部結果論に過ぎないのだから。そうできなかった事実は変わらない。
でもじゃあ考えることは無駄なんだろうか。
それはちょっと違う。
考えることは止めちゃいけないと自分に言い聞かせるようにしている。
確かに全く同じ場面はもう二度とやってこないかもしれないし、まずもってあの時の結果はタイムスリップでも出来ない限り変えることは出来ない。
だけど生きてる限り、似たような場面はやってくるかもしれない。
生きてる人間が出来ることは、過去に失敗したことを繰り返さないこと。
同じ轍を踏まないこと。これしかない。
過去を生かし、未来につなげていく。
後悔を減らしていく方法はこれしかないんじゃないかな。
だから目を背けたくなることにもちゃんと真正面から向き合わなきゃいけない。それはグジグジするとか、「なんでダメだったんだ」「なんで出来なかったんだ」とかっていう結果に注目するんじゃなくて、「どうすればよかったのか」「何があの場面でできたのか」っていう過程に注目することが大事なんだと思う。
だからずっとずっと考えていきたい。
それを溜め込むばかりじゃなくて、試していきたい。
でさらに修正していきたい。
過去の苦い経験を「良い経験」とするのは簡単なことではないかもしれないけど、せめて「無駄じゃなかった経験」にすることは出来ると思っている。
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