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言い切るか、濁すか。

言葉の使い分けって難しい。

日々の悩みだ。

「よく言葉選びを大切にしています」、みたいなことを言っている。実際に大切にしている。ただその「言葉」の主な意味としては使うフレーズだったり、言葉の組み立てだったりに関与する部分が大きい。

でも言葉選びってそれだけじゃない。
それが「言い切るか、濁すか」だ。



それぞれの言語化をしていきたい。

まずは「言い切る」、それはつまり「断定」を意味する。

「○○は××です!」
「この場面はこうした方がいいです!」

言い切ることによるメリットはそこに説得力が生まれる。そして自信を感じさせる。ハッキリと伝えることで相手に安心感をもたらすことだってある。

例えば、

「私たちに任せてください!」

と言うのと、

「任せてもらえたら嬉しいです!」

だと前者の方がなんか任せたくなる説得力がある。「そこまで自信あるなら」「そこまで言い切ってくれるなら」って。

きっとこの言葉の差って大差はないんだろうけど、でも確実に与える印象に差がある。

じゃあ何でもかんでも「言い切る」のが良いかというとそういうわけでもないと思っていて。言い切ることでその場面は二項対立的な状態になる。それはつまり「言い切る」ことによって解釈の余地がなくなることを意味する。そうすることで、「そう思わない人」を敵に回す

だからこそ場面によって必要なのが「言葉を濁す」、つまりそれは「解釈の余地を与える」ことだと思っている。

「○○は××という考えが1つとしてあります」
「私たちは○○という風に考えます」

みたいな感じ。

言葉を濁すことによって、解釈の余地が生まれ、解釈の余地が生まれることで多様性が認められる。

言い切られると、多数派が力を持ち、少数派が言いくるめられるなんてこともある。例えそんなことがなかったとしても、自ら「私は違う」と声を挙げるのは難しい。

だけど言葉を濁すことで「私はこう思います」と参加しやすくなる。誰しもが声を挙げやすくなる。


改めてそれぞれの利点を取り上げるとすると、

「言い切り」は学びであり、説得力であり、安心感だ。

「言葉を濁す」は参加であり、解釈の余地であり、多様性だ。

どっちの方がいい、というわけじゃなくてどっちもいい。ただ場面によってこっちの方がいいかも、というのがあるだけ。使う場面、使う相手、使う人間等々。

そういった意味でこれも言葉選びの要素の一つとして重要なんだと思う。


だから一つのことを表現するにもあらゆる伝え方を持っておいた方がいいなと思った。見る角度を変えることで、同じ物事でも伝え方はきっと変わってくる。

刺さる人に刺さればいい、という伝え方も確かに大切な視点の一つだが、せっかくなら100人いれば100通りのその人に刺さる伝え方を習得したいし、言い切りと言葉濁しを巧みに使い分けられるような、「言葉の魔術師」になりたいな。


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塩浦良太
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