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期待のジレンマ
「期待」って実に難しい。
ふとそう思った。
期待に対する言説?見解?は多岐にわたる。
最近多く見るのは「期待はしない方がいい」な気がする。
私自身も何度か「期待」についての記事を書いてきた。例えば、
相手に対してイライラしてしまうことがあるのは、相手が自分の望むとおりにやってくれるだろうと「期待」をしているわけで。その期待通りの結果でないときにイライラするわけで。
期待というのは「する側」のわがままにすぎない。それを相手に勝手に押し付けるのは都合のいい話。
”いい意味で人に期待しない”
出ました!「いい意味で」!(笑)
でもここで疑問が生じる。
じゃあ期待をしなきゃこの問題は解決するのだろうか。
そしてもう一つ。
期待されないってなんだか寂しくね?
期待をするのは自分の自己満足でそれを相手に押し付けてはいけない、というのはわかるんだけど、いざ逆の立場になったとき「期待されていない」と考えるとすごい寂しいなと感じた。
自分の場合、誰かの期待がモチベーションになったりする。
誰かの期待に応えるが、そこに自分がいてもいいと実感できる瞬間でもある。
過去にそれで失敗した原体験もあるが、失敗の原因に気づいたから今ではこの周囲の期待をうまくコントロールしながら自分のモチベーションに変換できると思っている。
そうなったとき、周囲から期待されないってすごく寂しい。
少し話は逸れるが、自分は結構自分に期待している。
中には「自分に期待しない」という方もいて、それはそれで大正解だと思う。ただ自分にとっての正解は「自分に期待すること」だと分析した結果わかった。
出来ると思うから挑戦するし、1回2回出来なくても立ち上がれる。
それに自分にプレッシャーをかけたほうがなんだかんだうまくいくということがこの23年でわかってきた。
もちろん自分に期待することだけでなんとかなる側面もある。だってあらゆる行動の行き着く先は「自分のため」だから。
でもやっぱりそれだけじゃ物足りなくて。心のどこかにいる承認欲求の自分が叫ぶ。
「みんなの期待にも応えたいよー」
そもそもここまで「人に期待する」ということをネガティブな側面だけで見てきたけどもちろんポジティブな部分もあると思っていて。
少なからず何か「期待したくなる要因」があるからその人に期待する。
信用できない人に期待なんかしない。
そして私みたいに、期待されることがモチベーションになる人も少なからずいるのではないだろうか。
だからここで必要なのは”期待の共有”だと思っている。別の言い方をするのであれば、
勝手に期待しない
ということ。
勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に期待していた相手にがっかりする。これこそまさに自己満足・自己都合の話だ。
期待をするならその期待を言語化して相手に伝える。意図を伝える。そうすることで「期待の認識のずれ」をなくす。この作業を怠ってはいけない。
自分への期待、が息苦しくないのはこの部分の言語化が自分に対してしっかりされているからな気がする。
その言語化が難しいなら、変に期待しないほうがいいんだと思う。
”期待するからそれが裏切られたときショックを受ける。
だから期待しないほうがいい。
でも期待されないのは寂しい。”
そんな期待のジレンマから抜け出すためにたどりついた一つの答え。
それが、「勝手に期待しない」だ。
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