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楽しめるのも才能、悩めるのも才能
人は皆、何かしらの「才能」を持っている。
すごく陳腐な表現かもしれない。でもそう思う。普段働いている中で、これまで様々な人と関わってきた中で、そう感じている。
◆
楽しめるのって才能だと思う。
どんな作業でも熱中して取り組める。私が関わっている農福連携を例にとってみたい。
作業って常に同じわけではない。確かにある一定の期間、同じ作業を継続する時期があるけれどせいぜい1か月くらい。仕分け作業をするときもあれば、出荷作業をするときもある。その一方で、リース作りのような作業をすることもある。
そりゃ誰だって、作業に得意不得意はある。
でも中には、どの作業に対しても、
「この作業楽しいです」
目をキラキラ輝かせている方がいる。どんな作業でも楽しめる。これってめちゃくちゃすごい才能だと思う。
楽しくない作業は長続きしない。やらされ作業は結果にも表れる。きっと多くの人はその中で折り合いをつけて耐えている。
楽しめるってそれだけでも主体的に取り組める。向上心も高くなる。「楽しめればいい」とわかっていても、それは簡単なことではない。
だから「楽しめる」は才能だ。
もう1つ。
「悩める」も私は才能だと思っている。
上記の”「楽しめる」が才能”というのはわかりやすかったかもしれないが、”「悩める」も才能”には「ん?」と思う人もいるかもしれない。
だって「悩む」って、どちらかというとマイナスな印象の言葉だから。
でも私は捉え方によっては、むしろ超前向きな言葉だと思っている。
悩むって、つまり現状に満足していないってことだと思う。
今の状態に納得がいかない、もっと上手く出来るんじゃないか、もっと成長出来るんじゃないか、本当にこのままでいいのか。なんとか打開したい。
向上心の塊だ。
人間、現状に満足したらそれより上はないと思っている。「今の限界」はあっても「未来永劫の限界」はないんじゃないかと思っている。綺麗ごとかもしれないけど。
でも自分が探求を止めなければその挑戦というのは終わらなくて。
先の道を創ろうと思えば自分次第でつくれると思う。ほんとに自分次第。
悩まないことが悪い、というわけではない。
悩むことが悪いわけではない、むしろ素敵なこと、ということを伝えたい。
◆
私は普段「支援員」という立場で、支援を行っているけどだからといって偉いわけではない。
なんなら誰もが誰かの支援者で、誰もが誰かの被支援者だ。
私だって家族から支援されて育ってきたし、今も先輩や上司からある種、「支援」されている。
つまりみんな支援しながら、支援されているんだ。
じゃあ支援する側に何が出来るかって考えると、まずはその人の才能に気づかせてあげることなんじゃないかな、って。その人にとっては当たり前でも、他の誰かにとっては当たり前じゃないことってある。
それが才能だ。
でもその人にとっては当たり前だから、自分の才能ほど自分では気づけない。
支援者が出来るのはそれを気づかせてあげること。そしてそれを尊重してあげること、より伸ばしてあげること。
自分で文章を打ちながら、身の引き締まる思いだ。
相手の素敵な部分を見つけ、伝えてあげる。そして一緒になって伸ばしていく。何気ない一挙手一投足一思考が、実はものすごい才能かもしれないから。
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