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たかが1文字、されど1文字

最近ある内容でプレスリリースを書くことがあった。
そこで意識したことがある。

「1文字の使い方」だ。
何の1文字か。『助詞』の使い方だ。

助詞というのは、「は」「が」「に」「の」みたいな、単語と単語をつなぐ役割をしている品詞だ。

これは自分が書くときだけじゃない。
人が書く文章をチェックする時もそうだ。
自然と気になってしまう。人によっては気にならないかもしれないけど。

読むときに意識しているのは「見心地」「読み心地」だから。

「見心地」という観点から言えば、適度な改行とかがあてはまる。
ぎゅっと文字が詰まっている文章を見ると「うっ」となることがある。逆にあえてぎゅっと文字を詰めて見せるときもある。使い分けだ。

ただ、読ませたいときには適度な余白が必要だと思っている。

そして「読み心地」。
声には出さずとも心の中ではつぶやきながら文章を読む。そうしたときの「気持ち良さ」ってある。音もそうだし、意味としてのつながりもそう。すんなり内容が入ってくるかは、結構大事だ。


例えば以下の文章を皆さんはどのように解釈するだろうか。

「AさんはBができます」
「AさんはBはできます」
「AさんはBもできます」
「AさんはBをできます」

一番上の「Bができます」が通常の文だと思う。関係図的には「B→できる」。これに近いのが「Bをできます」か。主格だったBが目的語に変わっただけで意味合いは大きく変わらない。

「Bはできます」だとどうだろう。B以外のことはできない、というニュアンスが伝わってくる気がする。CとかDはできないけどBはできる、みたいな。

「Bもできます」はどうだろう。CとかDもできるしBもできる、というニュアンスが伝わってくる。

ここに対しての配慮がどれくらいされているか、って結構大事な部分だと思う。これって自己都合というよりかは、読んでくれる方への配慮で。たかが1文字の違いかもしれないけど、その1文字によって伝わり方って全然違う。

自分たちは文章以外の情報も知ってるけど、文章で初めて知る人たちはその情報がすべての情報だ。


たかが1文字、されど1文字。
その1文字に根拠と思いを持って綴っていけるようになりたい。

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塩浦良太
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