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不安で心を蝕むくらいなら。

早いもので3月を迎えた。ついこの前、2021年になったかと思えばもう2か月終わったのだ。こうやって1日、1か月、1年はあっという間に過ぎていく。

この1年は自分にとっても人生の節目の一つになる年である(毎年大事な年ではあるが)。

それが就職だ。

21卒としてありがたいことに内定を頂き、この4月からついに社会人として働く。いよいよあと1か月後。これから始まる新しい生活、予想のつかない未来にワクワクしている自分がいる。なんてったって、自分がそれを求めてこの道を選んだのだから。

「じゃあ不安は何もないのか?」って聞かれると、実は最初はめちゃくちゃ不安もあった。過去形で書いたということは、そう、今は全くない。これは決して強がりではない、、はず(笑)

不安とワクワク。ついこの前「「どっちが正しいか」より「どっちが楽しいか」」という記事を書いたが、似ているようでそれとはまた違った感覚だ。

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かつて不安もあった私が、ある記事を見つけた。

カズレーザーさんの口から出る言葉はどれも考えさせられるものが多かった。なかでも一番「なるほど」と感じたのが、

「不安って探し出したらいくらでも見つけられるから。「不安の量」を物差しにするといつまでも決められなくなるんですよ。」

だ。”心配性”の部分を持っている自分にとってはものすごく響いた。

「不安って探し出したらいくらでも見つけられる」、まさにその通り。

本題から少し外れるが、心配性という部分ですごい身近なところで言えば、「バイト先のカギ閉めたかな?」って不安になることがよくある。考えだしたら頭から離れなくなって、結局多少時間を無駄にしてでも確認しに行く。そして大体しっかり閉まっている。

「不安」を持つことが必ずしも悪いことだとは思っていない。

心配性になることで、余計なミスを減らすことが出来るし、様々なケースを想定して準備をすることが出来る。

だけど、精神はすり減らす。未来のことに対してならなおさら。

「不安なこと」を考え出すと、一つの不安からまた別の不安が生まれ、それは枝分かれにどんどん広がっていく。”不確かな不安”が自分の心を蝕んでいく。それで時に新しい一歩を踏み出せない、ということにつながる人もいるのではないだろうか。

・・・

しかし上記の記事を読んで、考え方が変わった。

ワクワクと同時に不安が自分の中に生まれるのはしょうがない。

不安なことを考え出したら止まらなくなるのもそれはしょうがない。

でも運がいいことに「自分の感情は自分が選択できる」
不安とワクワク、自分次第で好きな方に焦点を当てることが出来る

だったら自分の中の「不安」よりも自分に対しての「期待」や「ワクワク」に焦点を当てた方がいいのではないか、と。

・・・

大事な力の一つに、程よい「鈍感力」があると思っている。

多少のことには物怖じしない、気にしない、自分の大事にしたい部分に突き進む。不安を心に張り巡らし、精神をすり減らすくらいだったら、多少何かあっても気にせず、ワクワクを心に張り巡らした方がメンタル上もいい。

そして案外人生なんとかなる。

なるようにしかならない、といった方が正しいか。

と同時に、自分のイメージしている以上のことはなかなか出来ない。

だったら不安でマイナスの部分を考えるより、「あれも出来るな、これやりたいな」、そういったプラスのイメージで頭の中をいっぱいにした方が可能性は拡がる

不安かワクワク、選択するのは自分であると同時に、可能性を拡げるのも狭めるのも自分次第。

自分へ言い聞かせる意味も込めてもう一度書こう。

何とかなる、なるようにしかならない。だったらワクワクでいっぱいに。



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塩浦良太
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