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言語化のオールラウンダー
大人になると走る機会ってなかなかないよね。
タイトルと内容が嚙み合わないランキングトップ3に入るほどの導入文になった。でも大人になると走らなくなるのってほんとのことで。趣味としてランニングをするか、電車やバスに遅れそうにダッシュするか、みたいな。
いきなり走り出すから、太もも痛めたり、膝痛めたり。
記憶は子どもの頃のままだから。
そう考えると、子どもの頃はこれでもかってくらい走って気がする。
そもそも授業として体育というものがあって、嫌でも走らな伽いけない環境って、今思うとすごい貴重だったなと感じる。
体育の授業で「走る」といえば、
「長距離走」と「短距離走」がある。皆さんはどちらの方が好きだっただろうか。
恐らく短距離走の方が好きな方が多いかな、感覚的に。というか、長距離走の方が嫌いな人が多かった気がする。「キツイ」って声はよく聞いていた。
そんな私は長距離が大好きだった。周りは長距離の授業を楽しそうにしている私に対して、いい意味で?変な目で見ていた。
長距離の面白さって、自分と向き合えることもそうだし、レース展開を組み立てるのもそうだし、相手の表情も見るのも楽しいし。何より走り終わった後の達成感がひとしおなんだ。
そんな長距離が好きな私ではあるが、実は短距離走も大好きだ。スタートに張り詰める緊張感。一瞬にして決まるレース。風を切る感覚。
長距離も、短距離もある程度速い方だったからそう言えているだけかもしれないが。
と、ここまで「走る」ことを軸に展開してきたが、別に私が言いたいのってそういうことじゃなくて。
ここからこれまでの話を展開させて、タイトルを回収していきたい。
*
私は「長距離走」と「短距離走」どちらも好きだと言った。
で、どちらもとびぬけてではないが、人並みには得意だと思っている。
そこの飛びぬけた世界の人たちって、言ってしまえばオリンピックにでるような人たち。もっと身近にすれば日本代表とか、社会人まで競技として続ける人とか。そういったレベル。
そこは置いといて。
一般的な人でも、長距離が得意な人、短距離が得意な人はいても、どちらも得意な人ってなかなかいない気がする。いや、実際いるだろうし、そこまでこだわりを持っていないだけの人もいると思う。
言うとなれば、「好き好んでどちらも得意になろうとしている人はあまりいない」か。
でも、もし可能ならどっちもすごい速い方がカッコいいんじゃないか、とこども心的に思う自分がいる。
それを「走る」ではなく「言語化」の視点でタイトルに落とし込んだのが、”言語化のオールラウンダー”だ。、、といってもあまりピンとこないかもしれない。(笑)
もう少し言語化すると、私は発信の場としてTwitterとnoteを利用している。利用している大きな目的としてあるのが、「言語化する力をつけて、多くの人に伝わる発信がしたい」というのがあるんだけど、それぞれの機能に役割があると思っていて。今どきの言葉で言うと、いわばサービス利用の差別化、的な。
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まず文字数的な視点。
noteには文字数の制限がない。
ほんとに書きたいことを、想いのままに書き連ねる。
ま、ただ、読んでくれる人の視点に立って、
「読みやすい文量ってどれくらいだろう?」
って考えてだいたい1000字~2000字にまとめている。それでも、想いが溢れ出ちゃっている時は2000字を超えるが(笑)
それでも1000字でも十分な文字量で。その文字量で、読んでいる人を飽きさせないことも大切で。だから文字数的な視点で言えば、
「伝えたいことが伝えられる」「話の構成力がつく」
そういった良さがある。
一方でTwitterには140字という制限がある。
note出身?の私からするとこの制限が結構きつかった。多くの場合、
「長い文章書く方が大変でしょ?」
という見方をするが私からすればその逆で、言いたいことを短くまとめる方が至難の業だ。だからTwitterにはなかなか手を付けられずにいた。でもどうせなら短くまとめられるようになりたい、ということでnoteの要約からTwitterを動かし始めたのが2年くらい前だろうか。
Twitterの文字数的な視点での良さで言えば、
「要約する力がつく」「短く、かつ伝える力がつく」
がある。まさに文字数の「長距離走」と「短距離走」的な。
そうやって継続していくうちに、次第にTwitterで投稿したものがnoteの記事になっていくことが増えてきた。これがサービス利用の差別化の2つ目の視点で。
というのが、アウトプットに対しての向き合い方である。
今の自分がそうしている、というか今後そういった使い方をしていきたいなと思っているものがある。
今度はTwitterからお話すると、Twitterは思ったことをすぐ発信することを大事にしたいな、と。もちろんそれだけではないが。
「何を今さら」「Twitterってもともとそういうもんでしょ?」
そういう声が聞こえてきそうだ。そして実際その通りだ。
Twitterって日常ふと感じたことを、ありのままつぶやく。そう、「つぶやく」。そういったサービスである。がしかし、いつから言葉を選ぶ自分がいた。それが自らをTwitterから遠ざけていた所以でもあるかもしれない。
「何をネタにしよう」「どんな発信がいいかな」
よく見られようとしすぎていたんだろう。
でもちょっと考えたい。それってすでにnoteでやっていることでは?と。
noteって上記にもあるように、文字数に制限がない。そして比較的長い文章を書く。したがって書きながら、頭で整理しながら文章を構成している。つまり「考えた」文なのだ。
もっと平たく言えば、椅子に座って机に向き合って、みたいな。いわば「思考の長距離走」。おかげさまで思考の長距離走はだいぶ得意になってきた感覚はある。1000文字の記事だったら30分くらいで書けるくらいに。
そんな自分が次なるステージに行くためには必要なのは、「思考の短距離走」で。そういった意味で以前、『次なる目標』という記事を書いた。
上の記事では「話す」ということにフォーカスしているが、ここでは「文字にする」というところにフォーカスをする。で、その結果上手く使いたいな、と思ったのがTwitterである。
今一度、Twitter本来の使い方をしていくということだ。
*
整理すると、
Twitterでは「これいい言葉だな」とか「あ、思いついたことがある」とか、そんなふと頭に降りてきたものや自分の琴線に触れたようなものを、変に味付けせずにリアルタイムで発信していく。
そんな「思考の短距離走」力をつけていきたい。
それで、時間が経って「これもっと深掘りしていきたいな」というものがあったらnoteで記事にしていく。これが「思考の長距離走」力だ。
*
子どもの頃から、『1番』が好きだった。
長距離走も、短距離走も。全部速くなりたいなって、それってカッコいいなって思ってた。
その気持ちは大人になっても変わらない。
今度はアウトプットの面で、「長距離走」も「短距離走」も強くなりたい。だからこそ、今あるサービスを積極的に有効活用していきたい。
言語化のオールラウンダーになりたい。
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