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2種類の「自分」
自信:自分の価値や能力を信じること
自分の中には2種類の「自分」がいる。
・自信満々な自分
・自信を持つのが怖い自分
自分には自信がある。
自分は誰よりも自分のことを信じている。
以前、こんな記事を書いた。
最初から良い結果を出せるほど器用な人間ではない。でも上手くいくまで諦めない継続力と負けず嫌いさは持っている。
そして一度自分が覚悟を決めたことに対しては、身につけたいと思ったことに対しては自分に自信がつくまで徹底してやる。
というよりかは、上記添付した自分の記事の言葉を借りるなら、
「自信ってつけようと思ってつけるものじゃなくて、夢中になって一生懸命やっていたら気づいたらついているもの」
だから一度決めたことに対しては、夢中になるまでやりきる。結果的にそれが成功体験につながり、自信になる。
継続した先にある自信という意味では、自分の強みは「自信を持つこと」かもしれない。
だけど自分の弱みも「自信を持つこと」だ。
「もっと自信持った方がいいよ」
と言われることもある。
理解していてもその現状を変えられていない自分の未熟さを感じる。なんで変えられないのか、わかっていたらすでに変えられているのかもしれないが心のどこかに「自信を持つのが怖い自分」もいるということに気づいた。
自信を持つのが怖い自分。
周りからの見られ方や評価を気にしてのプライドか、そもそも本当に自信がないのか。おそらく前者なのだろうけど、自信を持って臨んだ結果、期待と違う結果が返ってきたときに耐えられなくなるのが怖いんだろう。
要は変なプライド。
そんな「自信を持つのが怖い自分」と最初に紹介した「自信を持つのが強みな自分」、この2つは相反しているように見える。
じゃあどちらかの自分は偽物の自分なのだろうか?
いや、違う。どっちも本物の自分だ。
だからこそどんな自分からも目を背けてはいけない。
そして「自信を持つのが怖い自分」から脱却しないといけない。というか脱却したい。でも勘違いしてはいけないのは、自信を持つことと自信過剰であることは違う。
自信を持つことと自信過剰の違いを言語化するのは難しいんだけど、簡単にまとめると「理由のある自信」か「構ってちゃんの自信」か、といった違い。
ただただ見てほしい、注目してほしい、構ってほしいから「自信あります」と虚勢をはるのは少し違う気がする。
「理由のある自信」とは自信を持ってもいい背景がちゃんとあること。この”ちゃんと”も抽象的なんだけど。
自信を持ってもいい背景があるにも関わらず、まだ見ぬ周りからの反応や見られ方を恐れて自信を持つことから逃げている自分から脱却したい、という意味での「自信を持ちたい」だ。
恵まれていることに、自分には自信を持つノウハウを知っている。
とにかく継続すること、だ。そして上手くいくまでやることだ。
「自信を持つのが怖い」自分が現れる時は最初から完璧であろうとしすぎている。上手くいかない自分を見られるのが怖くて自信を持てていない気がする。
上手くいかない時間も、自信をつけるために大切な過程なのに。
だからもっと自信を持ちたい。
自信を持って上手くいかなかった時のことを恐れて自信を持てなくなるより、今ある自信を磨いて磨いてより強固な自信にしていくことに時間を費やしたい。
変わることはちょっと辛いし、苦しいけど、目指したい自分だからそのために夢中になることが出来る。
だってそれが強みだから。
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