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「感情は期待値との差分」

「感情は期待値との差分」

まるで私が生み出した言葉みたいにタイトルにしてしまったが、これはニッポン放送で流れている「前田裕二のゼロイチ」というラジオ番組で前田さんが言っていたものである。そのため「」を使って書いた。


ラジオ番組の話の流れの中で前田さんが言った。

「感情って期待値との差分だと思うんですね。プレゼントももらえると思っていなかった時にもらえると嬉しいし、浮気も絶対されないと思っている時にされるからショックなんですよね」(多少意訳)

一人で部屋の中でラジオを聞きながら思わず、
「なるほどなぁ」と声が漏れた。


プレゼントと話が被るが、サプライズも予想していないから通常よりめっちゃ嬉しいし(例外あり)、芸能界のスキャンダルも「まさかこの人が」という人ほどニュースで多く取り上げられたり、ネットニュースで炎上したりしているイメージがある。

巷ではよく、「好感度を上げすぎない方がいい」ということが聞かれるが”感情は期待値との差分”と考えると確かにそうなのかもしれないな、と思う。

貫き通せるのならまだしも、そう振舞っているのであれば、多少毒を吐いた方がいいのかもと思ったり、思わなかったり。

組織においても仲間や後輩のミスでイライラしてしまうのは「出来ると思っているのに何で出来ないんだ」という感情と「俺は出来るのに何でお前は出来ないんだ」という感情があると思う。

そして恐らく口をそろえて言うだろう。

「私だって別にイライラしたくてしているわけではない。これはあなたに期待しているから言っているんだ」

じゃあ「期待」しなきゃこういった感情はなくなるのか。
もしかしたらなくなるのかもしれない。でも「期待」されないってどこか寂しい気もする。人間は都合のいいものだ。

大学の講義でグループのリーダーになったことがある。いついつまでに資料を作成するとなり、私が役割分担をした。しかしやってこない人がいた。当時の私は100%「期待」をしていた。だから裏切られた感じが強く、結構なショックを受けた。

しかしそれから「期待」することをやめた。やめたと言っても、口では期待しているというニュアンスをしっかり伝える。だけど今まで100%期待だったのを自分の感情の中だけでは50%ぐらいの期待にして、もう半分は「期待通りじゃなくてもしょうがないよね。完璧な人間なんていないんだから」と思うようにした。

するとすごく心が楽になった。

一見、冷たい感じに見えるかもしれない。実際そうなのかもしれない。
だけど「期待」っていうのも結局は自分のワガママであって、それを相手に押し付けるのも無理がある話だ。

だったらプラスの面での期待のズレはあっても、極力マイナスな面での期待のズレはない方がいい。それがお互いのためでもある。

それでもさっき書いたように100%のつもりで「期待しているよ」というニュアンスを伝えるし、少なくとも50%は期待している。それはある本にも書かれていたが「期待に追いつこうとする力の強さ」を信じているから。

中には「誰かのために」という思いで力を人一倍発揮するタイプもいる。
どちらかというと自分自身もそっちな気がする。だから期待することの良さもあるのだ。

でも自分に対しては誰よりも期待をしている。
この差は何か。それは自分でコントロール出来るかどうか。

自分のことは(どれだけ頑張るかなど)自分でコントロール出来る。結果が同課は別として、頑張るも頑張らないも自分次第だ。だから期待をコントロール出来る。

一方、自分以外の行動をコントロールすることは難しい。巻き込めるかどうかは自分の腕に関わる部分もあるかもしれないが、消してコントローラブルではない。だから自分には期待して、周りに対しては良くも悪くもあまり期待しないという選択をするのかもしれない。

本題から逸れた。

期待をして裏切られたときのショックというのは、あくまで自分が期待しているからこそ生まれたギャップであって、ある種自分のせいでもある。

コントローラブルな部分に目を向けて、相手に対してはその相手のありのままを受け止める、これが相手もそして何より自分自身も傷つけない賢いやり方なのかもしれないな、と話を聞いていて思った。

それは自分を世間に売る時も。
自分を偽り続けて発信することでいつかズレが生じたときに、取り返しのつかないことになりかねない。

それが自分の本心なのか。
また偽る場面があったとしても、別の場面では素を見せているか。

そういった期待値コントロールというのも、頭の隅には入れておきたいなと思った今日この頃である。

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塩浦良太
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