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過去は消えないし、消せない。だから無駄にしてはいけない。

2021年3月11日。今日で東日本大震災から10年が経つ。

私は新潟県の出身であるため、揺れは大きかったがそこまで大災害ではなかった。当時は小学6年生。図工の授業だった。

揺れがおさまったのち、全校生徒が体育館に集められ、順次親の迎えがきた児童から帰っていくようなかたちになった。

家に帰って、テレビをつけたときの映像は今でも忘れない。

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私にとって、地震は決して遠い存在ではなかった。

新潟、なかでも私が住んでいた中越地方ではそれまでに2度の大きな地震を経験していた。
2004年10月23日の中越地震2007年7月16日の中越沖地震の2つだ。

中越地震、それは私がまだ5歳の頃。

その日は父親と近くの総合体育館でバスケをし、帰ろうとしていたころだった。電気が消え、大きく揺れた。ものすごく怖かった。

体育館から家に帰る途中の車でも、余震は続いていた。私が住む地域では震度5弱を観測。当時初めての大地震だったため、今でも記憶に残っている。


もっとひどかったのが2007年の中越沖地震。
私が小学3年生の頃だ。

その日は休日で、小学校の野球チームの練習をしていた。練習中、体育館が大きく揺れた。震度6強を観測した。

正直詳しい部分までは覚えていない。

でも電気、ガスはおろか水も使えなかった記憶がある。

近くの会館に行き、自衛隊の方から炊き出しをもらったのを覚えている。
近くのコミュニティセンターに行き、自衛隊の方が設営してくれた「温泉」に入った記憶もある。

ものすごい人の温かさを感じた時間だった。

そして2011年、東日本大震災である。

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私が経験してきた大きな地震に津波の心配はなかった。
しかし東日本大震災では、津波の恐ろしさを目の当たりにした。

そして目に見えない敵として「原発事故問題」が起きた。

原発事故に関しては他人事ではない部分があった。

津波の恐ろしさ、放射線の恐ろしさを痛感する機会になったが、それにしても高すぎる授業料としか思えなかった。


大学の講義で、実際に東日本大震災の際、原発事故の被害を受け新潟に避難されてきた方のインタビューをさせていただく機会があった。

自主避難や強制避難など避難の経緯は多岐にわたった

私たちはどうしてもテレビのニュースで取り上げられる一部分ですべてを知った気になってしまう。

従って、原発事故の避難者は全員「かわいそうだ」というようなラベリングをしてしまいがちである。でも実際は強制避難の方と自主避難の方で捉え方が違うのだ。

また福島から来たことで「いじめ」を受けたという話をされている方もいた。それも福島からの避難者=危ない人たち、という身勝手なラベリングによって生まれたものだなとインタビューを通して実感した。

インタビューの中で印象的だった言葉として、

「家がすぐそこにあるのに、しっかり形として残っているのに戻れないというもどかしさがある。」
「次の瞬間からもうあの家には戻れないんです。普通に使っていたものも取りに帰れないんです。当たり前が当たり前じゃなくなるんです」

ものすごく考えさせられる言葉であった。

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”当たり前の有難み”

これはつくづく思い知らされる。

自然災害やあらゆる要因によりこれまで日常的に「当たり前」だった日常が当たり前じゃなくなるということ。

今回の新型コロナウイルスだってそう。

外でスポーツ観戦やライブで盛り上がっていたり、居酒屋で大勢で飲んだり。そういったこれまでの「当たり前」が当たり前ではなくなっている。

ありがとう、は「有る」ことが「難しい」と書くということは多くの方が聞いたことがあるのではないだろうか。

「当たり前」と「ありがたみ」、一見相反する言葉のように見えるが実はつながっている。日頃「当たり前」だと思っていることは簡単なことではない。ふとした何かのきっかけにより、一瞬にして難しいことになる。

いかに日頃、当たり前だと思っていることに感謝できるか、大事に出来るか、綺麗ごとに聞こえるかもしれないがこれに尽きると思う。

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東日本大震災から10年。

「風化させてはいけない」

という言葉に尽きる。しかし月日が経つとともに忘却の対象となり、事実の風化、人々の無関心・不理解の状況に陥ってきているのも否めない。それは「当事者」ではなかった人たちにとって

もちろん当事者の心には事実として深く突き刺さり、その傷は消えるものではない。私自身も2度の大きな地震の記憶は鮮明に残っているのだから。

でも無理もない現状もある。事実として、震災周辺の時期になるとニュースで取り上げられ目にする機会はあるが、日常ではなかなか自分から情報を入手しようとない限り目に入ってこないのがふつうである。

そしてそれもしょうがないと思っている。だからこそ震災周辺の時期になった時には全員が当事者となって真剣に向き合うべきなのではないか、と感じている。

今や自然災害、地震だけをとっても日本全国どこでも起こる可能性はある。明日は我が身、とはまさしくこのことだ。

過去は消えないし消せない。だからこそ決して無駄にしてはいけない。

東日本大震災での津波でもわかったように、自然災害は前例の遥か上を超えてくる可能性も持っている。常にリスクの想定をしておかなければならない。

準備に早すぎるということはない。

そしてこの過去を忘れてはいけない。


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塩浦良太
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