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適当のテキトーさに救われる
昨日、「適当にのんびりやっていく」という記事を書いた。
肩肘張りすぎたって、考えすぎたってしょうがないから、いやでも考えるんだから、もっと力抜いて適当にのんびりやっていこう、って。
さりげなく当たり前のように「適当」という単語を使ったけど、適当にはいろんな意味があるなと思う。
1番よく使われるのは、「いい加減、雑な感じ」のイメージがある。
「ほんと、君はテキトーな人間だな」
って。自然とカタカナで表現したくなる感じがする。
だけどその一方で「適当」には別の使われ方もあって。
「この人数が集まるには適当な場所だ」
という感じ。ここでの意味って「ふさわしい」とか「ちょうどいい」「適している」みたいな意味合いがある。
あれ?ちょいちょいと。
辞書的な意味を一度調べてみたい。
1 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に—な土地」「この仕事に—する人材」
2 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を—に加える」「一日の—な仕事量」
3 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を—にあしらう」「—な返事でごまかす」
やっぱりそうだ。
片や、「ふさわしい」「ほどよい」という意味で、片や「いい加減」という意味。
「逆じゃん!!」
となる。
まさに「適当」という言葉の意味が一番テキトーだ。
でもこれくらいのテキトーさが「適当」という言葉には適当なのかもしれない。
さて、何回”適当”と言ったでしょう?みたいな問題になったが(笑)
これくらいに、難しく考えすぎずあっち行ったりこっち来たり、突き進んだり悩んだりしていいんだろうな、って思う。だって言葉がそうやって教えてくれているんだから。
そう思うとちょっと楽になるね。
こんな感じの心持ちを持ち続けたい。
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