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「頑張る」意味を問い続ける

「もう頑張れって言わないでください」
「頑張り方を教えてください。」

どこで聞いたか覚えていない言葉たちが、ずっと頭の中に残る。

きっと頭に残るのは、自分の心の中でも一度は思ったことがあるから。
きっと頭に残るのは、自分でそう思っておきながらも別の誰かに「頑張れ」って言っているから。


「頑張る」ってなんなん?

正直これは永遠のテーマだ。

これまでも何度か記事にした気がする。その都度、その瞬間での自分の中での正解を出している。それでもまた記事にするということはまだしっくりきていない、ということのあらわれなのかもしれない。


でも結論から言うと、それが「正解」だと思う。

どういうことか。

「頑張る」の正解は、自分にとっての「頑張る」意味をその都度定義しつづけることなんじゃないか、って。

頑張る:忍耐して努力し通す。気張る。


元も子もない発言かもしれないが、上記の意味で捉えるのであれば正直私は「頑張った」ことってあまりないかもしれない

楽しかったからやった、上手くなりたいからやった、自分が身につけたい力だからやった、などなど。

耐えて忍んだかというとそんなわけではなくて。全然耐えてないし、忍んでないし。辛くても意味があるからやっているし、何ならその中でどう楽しめる考えてやっている。ちょっとひねくれた考えかもしれないが。


そういった一つ一つの行動の積み重ねが、周りから見れば「頑張って」いるように見えているだけで、頑張りたいから頑張った経験ってほとんどない気がする。

というか「頑張る」ための頑張りって自分には出来ない

行動に意味を持たせないと動けないタイプだ。


これは気をつけないと、動き出しが遅くなってしまいかねないんだけどね。




ここではわかりやすく、「頑張る」ということを「多少上手くいかないことがあっても、継続して行動し続けられる状態」と解釈したい。

多少上手くいかなくても、目指すものがあればそこに向かって突き進めるし、その行為自体を楽しむことが出来ていればそこまで辛くないはずだ。なんなら上手くいくように考えて工夫するはずだ。

そう考えると、「頑張る」ことを楽しめなくなってきたとき、それは自分にとって危険信号だと判断する。

その状態になると、多少オーバーな表現にはなるが急に無気力になってしまったり頭が働かなくなったり。


それは「頑張る」=楽しむ意味を見失っているから

そんな時は自分に問いかけたい。

「何のために自分はその行動をしているのか」
「それを頑張る理由は何か」

根性論で「頑張る」ために頑張れ、じゃめちゃくちゃ効率悪い。結果も出ない。長続きもしない。自分にとっても、対象の物事・相手に対しても失礼だ。

だったら少し時間をかけてでも改めて方向性を見つめ直すべき。土台をつくりなおすべき。

そしていくら考えてもしっくりこない時は、その行動その選択自体を見つめ直すサインなのかもしれない


考えすぎで時間を使うのはもったいないので、そのスパンは短く。



何も考えない、オートマティック人間にはならないように。

そこに自分の意志はあるか、自分の目的はあるか。

それがあるかないかで加速度は変わってくる。


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塩浦良太
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