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やりたいことと、やりたくないことと、やらなきゃいけないこと。

物事の優先順位を考えていく時に使われるフレームワークとして「時間管理のマトリックス」というものがある。行動の対象を「重要度」と「緊急度」で4分割し、当てはめていくもの。

だけど今回私がしたい話はそんな難しい、専門的な話じゃない。
ただただシンプルに、自分たちの行動ってやりたいことと、やりたくないことと、やらなきゃいけないことで分けられているな、ということについて書いていきたい。


と言っておきながら、前述の表現にはすこし間違いがある。

3つに分けられてはいると思うが、いかに

・やらなきゃいけないこと=やりたいことの状態をつくれるか
・やりたくないこと=やらなきゃいけないことの時、「やりたい」部分を見つけられるか

だと思っていて。そこについてちょっと言語化していきたい。


前者の方はわかりやすいかもしれない。

人それぞれ、全員とは言わないが「やりたいこと」を持っている人がいると思う。全くのイコールではないが「好きなこと」と言い換えても間違いではない。

その一方で生きていくうえで「やらなきゃいけないこと」って存在する。わかりやすい例で言えば、生活するうえでお金が必要だから働かなくちゃいけない、とか。数年後にこれも当たり前じゃなくなっているかもしれないけど。

こういったときに「自分のやりたいことを仕事に」とか「好きを仕事に」というのが前者の代表例なんだと思う。

やりたいこと=やらなきゃいけないこと

自分のやりたいこと、好きなことだから多少の困難があっても頑張れる。きっとそれが多くの人の理想で、憧れで。でも憧れている人がいっぱいいるということは多くの人がそれを実現できていない、ということの裏返し。

きっと多くの人はやりたくないこと、、、、とまではいかなくても別にやりたいことではないけどやらなきゃいけないことだから、と思って行動している人もいると思う。

そんな時、大切にしたいのが後者かなって。

たとえやりたくないこと=やらなきゃいけないこと、だったとしても、その中でいかに自分の「やりたく」なる部分まで落とし込めるか。やりたくなる環境設定を出来るか。

まだちょっとわかりづらいと思う。

例を挙げて考えてみたい。

飛び込み営業が仕事だとする。
つまりその人にとって「やらなきゃいけないこと」は飛び込みで営業をすること。

だけどその人の中で数を重ねるごとに飛び込み営業が「やりたくないこと」に気持ちがうつってしまった。飛び込みで行ったことで相手先に嫌な顔をされたり、数字という成果をあげられなくて上司に怒られたり。

そういった嫌な経験が積み重なることで、「やりたくない」気持ちが増していき、どんどん足も気持ちも身体も重くなっていく。でも「やらなきゃいけないこと」であることに変わりはない。

そんな時、一度立ち止まって自分の本来の「やりたいこと」を考える

それが「人の役に立つこと」だったとする。

だとしたら今までの自分の飛び込み営業のやり方を見つめ直す。

・そのやり方は本当に相手のためになっていたのか
・自分の目的の押し売りになっていなかったか

もしかしたら「これ買ってください!」という自分の主張ばかりをしていたかもしれない。でもそこで「何か私たちで何かお役に立てることはありませんか?」とか「何かお困りごとありませんか?」という言葉に変えてみる。

それだけで前よりは自分のやりたいことにそぐうかたちになっている
そうすればたとえ断られたとしても、きっと受けるダメージは小さい。

そういった「やりたいこと」のかたちでやっていく中で、成績という「やらなきゃいけないこと」も見失わないように


これこそが、

・やりたくないこと=やらなきゃいけないことの時、「やりたい」部分を見つけられるか

のかたちだと思っている。


せっかくなら、自分の人生をやりたいことや好きなことで埋め尽くしたい。

だけどそんなわけにもいかない。
なかにはやりたくないけど、やらなきゃいけないこともある。

でもそれを甘んじて受け入れて、イヤイヤやるのはなんかやだ。

やりたくないもののなかからでも「やりたい」を見つけだすことを諦めたくない。どうせやらなきゃいけないなら、楽しい方がいいからね。

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塩浦良太
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