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みんなのせいだし、みんなのおかげ。

「戦犯」という言葉が僕は嫌いだ。

負けた原因を作った人に使われることが多い「戦犯」という言葉。
何が、とは言わないが、最近の、というかここ直近のSNSでよく目にする。

きっとこれが個人のスポーツなら誰も「戦犯」だとは言わないのだろう。だって責任の所在が明確だから。そもそも攻撃することがいかがなものか、とは思うが。

だからとりわけこの言葉が使われるのはチームスポーツやスポーツに限らなずに組織での動き全般だと思う。

何か上手くいかなかったとき、誰かに原因を押し付ける。そういったときは取り分け目に見えてわかるミスをした人に集中する。わかりやすいから。

でもそこで誰か1人に責任を押し付けたとして物事は解決するのだろうか。いや、しない。事実は変わらない。時間は返ってこない。

そもそも「その人」だけが悪かったのだろうか。
いいや、違う。もし本当にその人が悪い要素があったとしても、それをカバーできなかった周りだって改善するべきところはあったはずだ。

誰が悪いとかじゃない。強いて言えば全員が悪かった。それは応援する人も含めて。

これは結果が良かったときにも言えると思っていて。
とりわけ目立った活躍をした人に注目が集まるが、そこに至るまでの過程に携わった人があってこその「目立った活躍」で。

誰かのおかげかもしれないけど、みんなのおかげでもある。

何もこれは綺麗ごとではない。
そもそもそこに選ばれている人たち、という時点で選ばれていない側は応援することしかできない。

100歩譲って批判はまだいいだろう。
批判は「行動への評価」だといわれている。もっとどうすればよかったのか、それは相手に気づきを与えることができる。

外側の人間が気づいていることは、その道のプロならもちろんのように気づいているかもしれないが。

ただ、誹謗中傷はあってはならないものだ。
誹謗中傷は「人格への攻撃」だといわれている。人格を攻撃したところで事の解決には何もつながらない。それは攻撃する側のストレス発散に過ぎない。

一生懸命戦ってくれている人たちを誹謗中傷する資格は、誰にもない。


自分の意見をそれども貫きとおしたいのなら、意見が通るポジションまで自分が上がっていくしかなくて。批判をするにも提案がセットで。

そういった意味でも外から見ている人間にできるのは、信じて応援することのみで。


感情は期待値との差分だと言われている。

期待していた分、裏切られた時の反動は大きくて。それのやり場がないと吐き出したくなるのが人間の性か。

でも期待をしたのは自分にすぎない。
期待は命令されたわけじゃない。自分で選んで期待したんだ。
だからその感情のコントロールは誰かに押し付けるんじゃなくて、自分でコントロールするしかない。


それに「自分が信じているものがすべて」「自分が期待しているものがすべて」だという思考には気を付けたい。

確かに自分の人生の主人公は自分だ。
だけどそれと同じように、他の誰かの人生の主人公はその人自身で。

自分が期待しているものが成長しているのと同じように、他の人が期待しているものも成長している。

真剣勝負ってそれの本気と本気がぶつかるんだから、何が起こるかわからないで当然なんだ。


メンタルは人の行動に大きく影響を与える。

あてのない批判や誹謗中傷は、一種の「仲間割れ」だ。本当に「仲間」のことを思っているのなら今できるのは応援すること、信じること、そのために自分が何ができるか考えること。

批判や提言はそこからフラットな状態になった時でいい。


チームってそういうことじゃないか、と思う。
選ばれた人がやること・やらなければいけないことがあるのと同じように、選ばれなかった人がやること・やらなければいけないことがある。

みんなのせいだし、みんなのおかげ。
この気持ちはずっと忘れずに。


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塩浦良太
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